ヨハネ16.23-33
祈らないなんてもったいないです。祈ったことは必ず与えられるからです。100パーセントです。どれだけ祈らずに損をしてきたでしょうか。僕らが祈らないのは「祈っても聞かれない」という恐れがあるようです。そんな僕らにイエス様は断言します。「求めなさい。そうすれば受けます。」と。しかも、祈ると僕らの喜びは満ちあふれます。イエス様が言われます。「あなたがたの喜びが満ちあふれるようになるためです。」と。
(23-24)
その日には、あなたがたはわたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしの名によって父に求めるものは何でも、父はあなたがたに与えてくださいます。
今まで、あなたがたは、わたしの名によって何も求めたことがありません。求めなさい。そうすれば受けます。あなたがたの喜びが満ちあふれるようになるためです。
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ある牧師がたとえ話を作りました。
あるクリスチャンが死んで天国に行きました。使徒ヨハネが天国を案内してくれました。そうすると無数のプレゼントがあったそうです。彼が見ていると、なんと、自分の名前がついた大きなプレゼントを発見しました。彼はヨハネに「これは何?」と聞いたところ、ヨハネは、「気にしない方がいい」と言いました。彼は「どうしても知りたい。僕の名前がついているんだけど、これは何?」と聞きました。ヨハネは「そんなに知りたいなら教えるけど」と教えてくれました。「これは、君が地上で受けるはずだったプレゼント。そして、祈らなかったので受け損ねた分」
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地上では苦しみがあるし、問題だらけです。でも、それらは祈るためです。どんな大きな問題も神様の目には小さいし、その問題は神様の前では解決決定だし、イエス様はもう勝利しています。あとは僕らが祈り求めるだけです。神様が僕らに与えようとしているのは喜びと平安です。
(33)
これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです。世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」
どんな小さなことも祈りましょう。ぼーっと生きるのと、祈って生きるのでは喜びと平安が全然違います。
僕らにはイエス様の名前が与えられています。僕らの祈りでありながらイエス様の名前で祈ります。僕らの願いはイエス様の願いでもあります。まるで連帯保証人のよう、連名での請願書のようです。イエス様の名前が与えられています。イエス様の名で求めることは与えられます。ハレルヤ!
(1ヨハネ5.14-15)
何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です。
私たちが願うことは何でも神が聞いてくださると分かるなら、私たちは、神に願い求めたことをすでに手にしていると分かります。
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