2022年12月14日水曜日

ヨハネ16.23-33

 ヨハネ16.23-33


祈らないなんてもったいないです祈ったことは必ず与えられるからです。100パーセントですどれだけ祈らずに損をしてきたでしょうか。僕らが祈らないのは「祈っても聞かれない」という恐れがあるようですそんな僕らにイエス様は断言します。「求めなさい。そうすれば受けます。」と。しかも祈ると僕らの喜びは満ちあふれます。イエス様が言われます。「なたがたの喜びが満ちあふれるようになるためです。」と。


(23-24)

その日には、あなたがたはわたしに何も尋ねません。まことに、まことに、あなたがたに言います。わたしの名によって父に求めるものは何でも、父はあなたがたに与えてくださいます。

今まで、あなたがたは、わたしの名によって何も求めたことがありません。求めなさい。そうすれば受けます。あなたがたの喜びが満ちあふれるようになるためです

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ある牧師がたとえ話を作りました。

あるクリスチャンが死んで天国に行きました。使徒ヨハネが天国を案内してくれました。そうすると無数のプレゼントがあったそうです。彼が見ていると、なんと、自分の名前がついた大きなプレゼントを発見しました。彼はヨハネに「これは何?」と聞いたところ、ヨハネは、「気にしない方がいい」と言いました。彼は「どうしても知りたい。僕の名前がついているんだけど、これは何?」と聞きました。ヨハネは「そんなに知りたいなら教えるけど」と教えてくれました。「これは、君が地上で受けるはずだったプレゼント。そして、祈らなかったので受け損ねた分」

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地上では苦しみがあるし、問題だらけです。でも、それらは祈るためですどんな大きな問題も神様の目には小さいし、その問題は神様の前では解決決定だし、イエス様はもう勝利しています。あとは僕らが祈り求めるだけです神様が僕らに与えようとしているのは喜びと平安です


(33)

これらのことをあなたがたに話したのは、あなたがたがわたしにあって平安を得るためです世にあっては苦難があります。しかし、勇気を出しなさい。わたしはすでに世に勝ちました。」


どんな小さなことも祈りましょう。ぼーっと生きるのと、祈って生きるのでは喜びと平安が全然違います。

僕らにはイエス様の名前が与えられています。僕らの祈りでありながらイエス様の名前で祈ります。僕らの願いはイエス様の願いでもあります。まるで連帯保証人のよう、連名での請願書のようですイエス様の名前が与えられています。イエス様の名で求めることは与えられます。ハレルヤ!


(1ヨハネ5.14-15)

何事でも神のみこころにしたがって願うなら、神は聞いてくださるということ、これこそ神に対して私たちが抱いている確信です

私たちが願うことは何でも神が聞いてくださると分かるなら、私たちは、神に願い求めたことをすでに手にしていると分かります。

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