ヨハネ18.1-14
人から攻撃されたり、不正を見たりした時に僕らは「自分の力」でやり返そうとします。実はその背後には悪魔の誘惑があります。肉によって自我によって行動するようにと悪魔は頑張ります。御霊によって歩むのでなく、みことばに従うのでなく、主に祈って委ねるのでもなくのでもありません。SNSで発信したり、相手がダメージを受けるように仕返したり、時に武器や暴力を使って反撃させようとします。炎上する時に喜んでいるのは悪魔だけです。
ペテロもそのようでした。イエス様が逮捕された時、ペテロは剣で切りつけ、相手の耳を切り落としました。
(10-11)
シモン・ペテロは剣を持っていたので、それを抜いて、大祭司のしもべに切りかかり、右の耳を切り落とした。そのしもべの名はマルコスであった。イエスはペテロに言われた。「剣をさやに収めなさい。父がわたしに下さった杯を飲まずにいられるだろうか。」
神様の目的はイエス様が逮捕され、殺されることでした。ペテロはそれを知らず、自分の力や思いだけで行動します。イエス様が来てくださった目的は、人のために苦しみ、十字架で全人類の全ての罪を引き受けるためです。苦しみのことを「杯」と言います。イエス様の十字架によってだけ、人は無罪と言われます。どんな極悪人もイエス様によってだけ義とされます。イエス様以外に救いはありません。
今日も自分に聞いて見ましょう。イエス様の福音によって判断しているかどうかを。御霊とみことばによって行動しているか、イエス様に報告、連絡、相談しながら歩んでいるのかを。もしも今日、互いに傷つけ合い、互いに自分の義を主張するなら悪魔が笑っています。イエス様がきてくださったのは、僕らが解放されるためです。たった一人、イエス様だけが全ての罪を背負ってくださいます。逮捕された時、イエス様は弟子たちが解放するように言われました。イエス様だけ、たった一人で全ての罪と悪とその結果を受けるためです。
(7-9)
イエスがもう一度、「だれを捜しているのか」と問われると、彼らは「ナザレ人イエスを」と言った。
イエスは答えられた。「わたしがそれだ、と言ったではないか。わたしを捜しているのなら、この人たちは去らせなさい。」
これは、「あなたが下さった者たちのうち、わたしは一人も失わなかった」と、イエスが言われたことばが成就するためであった。
イエス様の願いは、僕らが肉の領域に巻き込まれないことです。罪とその影響に支配されないことです。イエス様は「この人たち(弟子たち)は去らせなさい。」とおっしゃいました。
イエス様が来てくださったのは、僕らが解放されるためです。「この人たち(弟子たち)は去らせなさい。」と今日も言ってくださいます。誰がなんと言おうと、イエス様は十字架の上で、その人の赦しを宣言されています。僕らのことも赦しの宣言をしてくださっています。この福音以外に救いはありません。今日、肉の思いを認め、告白し、手放し、やめましょう。福音に立ちましょう。今日、僕らが解放されますように。自由にされますように。福音によって生きる選択ができますように。
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