ヨハネ18.15-27
僕らは何かと恐れるものです。自分の立場が悪くなるのを恐れてごまかしたりウソをついても自分を守ろうとします。いくら頑張っても恐れは消えません。聖霊によらなければ消えません。自分の力や信念ではムリです。
ペテロはイエス様が逮捕された時、自分が弟子だとバレることを恐れてごまかしました。彼は「あなたのためなら、いのちも捨てます。」と言い、「たとい全部の者があなたのゆえにつまずいても、私は決してつまずきません。」と言い、「主よ。ごいっしょになら、牢であろうと、死であろうと、覚悟はできております。」と言った人です。ペテロの姿は僕らの姿そのものです。いざとなったら弱いのが僕ら人間です。自分のやる気とか決心はアテになりません。
(17)
すると、門番をしていた召使いの女がペテロに、「あなたも、あの人の弟子ではないでしょうね」と言った。ペテロは「違う」と言った。
(25-27)
さて、シモン・ペテロは立ったまま暖まっていた。すると、人々は彼に「あなたもあの人の弟子ではないだろうね」と言った。ペテロは否定して、「弟子ではない」と言った。大祭司のしもべの一人で、ペテロに耳を切り落とされた人の親類が言った。「あなたが園であの人と一緒にいるのを見たと思うが。」ペテロは再び否定した。すると、すぐに鶏が鳴いた。
一方、イエス様は真逆です。逮捕された時は「わたしがそれだ」とおっしゃいました。(18.5)あまりにも確信に満ちている態度です。その言葉を聞いた時に「彼らは後ずさりし、地に倒れた。」とあります。(18.6)逮捕する側がビビって兵士一隊が武力装備して来ていました。
イエス様には恐れがありません。イエス様がご自分キリストであり、王である真実を語ると迫害され、逮捕され、殺されるのは分かっていました。それでもイエス様は公然と話します。恐れたり隠れたりすることはありません。
(20)
イエスは彼に答えられた。「わたしは世に対して公然と話しました。いつでも、ユダヤ人がみな集まる会堂や宮で教えました。何も隠れて話してはいません。
イエス様は無限の聖霊に満たされている方です。そして同じ聖霊を僕らにも与えてくださいます。「人々があなたがたを、会堂や役人や権力者などのところに連れて行ったとき、何をどう弁明しようか、何を言おうかと心配するには及びません。言うべきことは、そのときに聖霊が教えてくださるからです。」(ルカ12.11-12)と言ってくださっています。
聖霊は今日も一緒にいてくださいます。御霊の実は平安です。何を話すか心配しなくても大丈夫です。たとえ死ぬことがあっても主と共にいる平安が約束されています。
(イザヤ41.13)
わたしがあなたの神、主であり、あなたの右の手を固く握り、『恐れるな。わたしがあなたを助ける』と言う者だからである。
(詩篇 23:4)
たとい、死の陰の谷を歩くことがあっても、私はわざわいを恐れません。
あなたが私とともにおられますから。
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