教会の大事なことの一つに「パンを裂くこと」があります。これはイエス様が「わたしを覚えて(よく思い出して)」しなさい、と言われたことです。(1コリント11.24)パンを裂くことは、イエス様が僕らの身代わりに殺され、僕らが無罪とされたことを思い出すため、そして食べることは僕らの中にイエス様の御霊が住んでおられることを覚えるためです。イエス様の十字架の処刑による罪の赦しをしっかりと覚えるためにパンを割いて一緒に食べます。これは初代の教会から現代の教会までずっと続いている大事なことです。
(7)
週の初めの日に、私たちはパンを裂くために集まった。パウロは翌日に出発することにしていたので、人々と語り合い、夜中まで語り続けた。
集まる理由はパンを裂いてイエス様の十字架の恵みを確認するためです。この時もパウロたちは集まってパンを裂き、イエス様の十字架の恵みを語っていました。イエス様は死んだだけではありません。復活なさいました。それは全人類の初穂としてです。
(1コリント15:20)
しかし、今やキリストは、眠った者の初穂として死者の中からよみがえられました。
やがて僕らも一度死にますが。イエス様を信じる人はイエス様と同じように復活します。イエス様は死よりも強い方です。
僕らは永遠の命を受けています。それは魂だけがポワーンと生きるのではなく、体が復活します。パウロと人々はパンを裂き、夜中まで罪の赦し、そして、死よりもイエス様が強いこと、「死はもはやキリストを支配しない」(ローマ.6.6)ことを話していました。
そして、それを知識だけでなく、体験させてくださいました。
(9-10)
ユテコという名の一人の青年が、窓のところに腰掛けていたが、パウロの話が長く続くので、ひどく眠気がさし、とうとう眠り込んで三階から下に落ちてしまった。抱き起こしてみると、もう死んでいた。
しかし、パウロは降りて行って彼の上に身をかがめ、抱きかかえて、「心配することはない。まだいのちがあります」と言った。
イエス様を信じる人は一度死にますが、復活します。イエス様と繋がったからです。それが人々にわかるようにイエス様はユテコを復活させてくださいました。これは人々への神様のプレゼントです。神様はリアルに僕らを復活させます。
(11-12)
そして、また上がって行ってパンを裂いて食べ、明け方まで長く語り合って、それから出発した。
人々は生き返った青年を連れて帰り、ひとかたならず慰められた。
この時代はどこの町でも迫害され、苦しめられていた時代です。慰めとは、僕らは地上で苦しむけれども、イエス様と同じように必ず復活して栄光を受けることです。だから殺されることがあっても大丈夫、主のために殺されることがあっても必ず復活すると聖書は言います。「からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。」(マタイ10.28)神様はリアルにユテコを生き返らせてくださいました。これは当時の彼らにも、僕らにとっても希望です。「人々は生き返った青年を連れて帰り、ひとかたならず慰められた。」(12)
パンを裂いて食べることは、イエス様が死んでくださったことを表します。そして、イエス様は復活して今も生きておられる王であることを表しています。神様はユテコの死を復活に変えてくれました。僕らも死にますが、生きます。イエス様は死に勝利しています。ハレルヤ!
 
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