賛美の歌は神様にささげるものですが、同時に僕ら人間同士が神様の約束や素晴らしさを言い表し、確認し、宣言するものでもあります。
ヨシャファテ王は敵の大軍に攻められた時、「あなたがたとともにおられる主の救いを見よ。」という神様からの言葉が与えられました。(17)ヨシャファテはそれを信じ、なんと、軍隊よりも先頭に賛美チームを置き、神様の勝利を感謝する歌を歌わせました。まだ勝利してないのに「主に感謝せよ。」と歌います。そして、そのことばの通りになりました。信仰による賛美は、まだ見ていないことを確信させるものです。
(21-22)
彼は民と相談し、主に向かって歌う者たちと、聖なる装いをして賛美する者たちとを任命した。彼らが武装した者の前に出て行って、こう言うためであった。「主に感謝せよ。その恵みはとこしえまで。」
彼らが喜びと賛美の声をあげ始めると、主は伏兵を設けて、ユダに攻めて来たアンモン人、モアブ人、セイル山の人々を襲わせたので、彼らは打ち負かされた。
神様は「これはあなたがたの戦いではなく、神の戦いである。」(15)とも「この戦いは、あなたがたが戦うのではない。」ともおっしゃり、(17)その通り敵は同士討ちをして自滅して行きました。
(23-24)
アンモン人とモアブ人は、セイル山の住民たちに立ち向かい、これを絶滅させ、根絶やしにした。セイルの住民を滅ぼし尽くすと、彼らは互いに戦って滅ぼし合った。ユダの人々が、荒野に面した見張り場に上って、その大軍の方を見渡すと、なんと、死体が野に転がっていた。逃れた者は一人もいなかった。
僕らも危機的な状況や苦しみに会う時、それは信仰が試される時です。神様は必ず僕らを救い出し悪から勝利させてくださいます。その確信は聖書のことばから来ます。信仰は聞くことから始まります。(ローマ10.17)賛美は神様の素晴らしさを僕らに教え確信させてくれます。
どんな苦しみも僕らを神様から離すことはありません。(ローマ8.38-39)むしろ、試練によって僕らは神様をもっと信頼するように成長します。「信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊い」です。(1ペテロ1.7)
ヨシャファテはこの試練を通してますます神様を体験し、神様を信頼し、しかも敵が置いていった多くの宝を手に入れました。
(25-26)
ヨシャファテとその民が分捕り物を奪いに行くと、そこで数多くの武具、衣服、高価な器具を見つけたので、運びきれないほどはぎ取った。分捕り物があまりにも多かったので、奪うのに三日もかかった。
四日目に、彼らはベラカの谷に集まり、そこで主をほめたたえた。
試練に会う時こそ、神様のことばを聞き、信じ、歌いましょう。神様は試練を通して僕らを成長させてくださいます。ハレルヤ!
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