2022年12月27日火曜日

使徒13.1-4

 神様は求める人に答えてくださいます。「神に近づきなさい。そうすれば、神はあなたがたに近づいてくださいます。」(ヤコブ4.8)

アンティオキアのリーダーたちはしばしば断食して祈り礼拝していたようです。断食とは、生活に必要な食事の用意などを全部一旦やめて祈りに専念することです。彼らは断食して礼拝していました。礼拝とは神様の前に全てを明け渡すことです。自分の考え、プランそのようなものを全て手放して、御心がなるようにと完全に手放し明け渡します。そのように神様に求める時に、神様は必ず答えてくださいます。


(2-3)

彼らが主を礼拝し、断食していると、聖霊が「さあ、わたしのためにバルナバとサウロを聖別して、わたしが召した働きに就かせなさい」と言われた。そこで彼らは断食して祈り、二人の上に手を置いてから送り出した。


教会が自分を捨てて明け渡す祈りと礼拝をしているときに、神様はバルナバとサウロを選び宣教師とされました。彼らを選んだのは聖霊です特別に神様の働き専用に用いられることを「聖別」と言います。彼らは神様に呼ばれ、聖別されました。

今も特別に神様のみことばの宣教と牧会のために聖別される特定の人があります。その人たちは聖霊が選ぶ人ですそして同時にキリストの教会の一部として教会から遣わされる人です。アンティオキア教会のみんなは彼らの上に手をおいて送り出しました。これは教会全体が彼らにと一つであることの象徴です宣教師は教会を離れてあるのではく、キリストを離れて活動するのでもありません。キリストの体である教会が、自分のこととして手をおいて送り出します。彼らが送り出されますが、これは教会の働きです。そして、送り出してくださったのは聖霊です


(4-5)

二人は聖霊によって送り出され、セレウキアに下り、そこからキプロスに向けて船出し、

サラミスに着くとユダヤ人の諸会堂で神のことばを宣べ伝えた。


こうして読むと、聖霊が選び送り出すこと=教会が送り出すことです。教会は彼らのために祈り、再び断食して送り出しました。送り出される2人の働きのために祈り続けるのは教会の役割であり祈りなしに神様から選ばれたり用いられたりすることはありません。3節では教会が送り出した、と書いているのに4節であは「二人は聖霊によって送り出され」と言い換えられています。教会が神様に明け渡して行く時に聖霊がはっきりと導きを与えてくださいます。


世界は神様のものです。そして神様はご計画を持っておられます。神様のご計画は僕らクリスチャンが自分を明け渡して祈る時に実現されていきます。僕らが自分を捨てることと聖霊に導かれることは同時進行です


日常生活をストップして祈りましょう。自分の計画を手放して礼拝しましょう。神様のご計画の方がよほど素晴らしいです。神様に近づき、神様に求める人には必ず神様が近づき、ご計画をなすために用いてくださいます。ハレルヤ!

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