2022年12月13日火曜日

エゼキエル22.1-16

エゼキエル22.1-16 聖書が伝えているイスラエルの罪のリストは、ふだん僕らがニュースで見聞きするものとだいたい同じです。立場の弱い人を虐待し、誹謗中傷し、誰とでもセックスし、人を抑圧して儲け、攻撃し傷つけ殺すために知恵とお金を使います。人間がこれらをするためには、神様を頭から追い出さなければなりません。神様を忘れずにこれらのことを行うことはできません。イスラエルは神様を覚える安息日をやめて神様を忘れました。(8、12)神様を離れた人は欲望のままに動きます。神様がいないのなら基準もありません。捕まらなければ何でもアリです。誰もそれは間違っている、と言うこともできません。ところがその結果は悲惨です。 (6-12) 見よ。イスラエルの君主たちは、おまえの中でそれぞれ力をふるい、人の血を流している。おまえの中で父や母は軽んじられ、おまえのただ中で寄留者は抑圧され、おまえの中にいるみなしごややもめは虐げられている。おまえはわたしの聖なるものを蔑み、わたしの安息日を汚した。おまえの中には、血を流そうと他人を中傷する者がいて、ある者は丘の上で食事をし、おまえのただ中で淫らなことをした。おまえの中では父の裸があらわにされ、おまえの中では月のさわりのある女が犯された。ある者は隣人の妻と忌み嫌うべきことをし、またある者は淫らなことをして嫁を汚し、ある者はおまえの中で、自分の父の娘である自分の姉妹を辱めた。おまえの中では、血を流すために賄賂が使われ、おまえは利息と高利を取り、隣人を抑圧して利得を貪った。おまえはわたしを忘れた──神である主のことば。 人間の内側から出るものは汚れたものばかりです。イエス様もおっしゃいました。「内側から、すなわち、人の心から出て来るものは、悪い考え、不品行、盗み、殺人、姦淫、貪欲、よこしま、欺き、好色、ねたみ、そしり、高ぶり、愚かさであり、これらの悪はみな、内側から出て、人を汚すのです。」(マルコ7.20-23) 罪は人を汚すばかりで決して幸せにしてくれません。生み出すものは恥と死です。それは神様が確かに存在すること、正しく裁くことの証明です。神様は預言者エゼキエルを通して裁きを伝えました。イスラエルの罪は自分たちの国を破滅させます。彼らは笑い者とされます。しかしその苦しみと恥のプロセスは、もう一度神様を知るための恵みです。 (3-5) このように言え。『神である主はこう言われる。自らのただ中で血を流して自分の刑罰の時を招き、自らのために偶像を造って自分を汚す都よ。おまえは自分が流した血で咎を負う者となり、自分が造った偶像で身を汚し、自分の日を近づかせ、自分の年を来させた。だから、わたしはおまえを国々のそしりの的とし、すべての国の笑いぐさとする。おまえの近くにいる者も遠くにいる者も、名を汚されて大いに混乱したおまえをあざ笑う。 (14-16) わたしがおまえをさばく日に、おまえの心は耐えられるだろうか。おまえの手は強くあり得るだろうか。主であるわたしが語り、事を行う。わたしはおまえを諸国の間に散らし、国々に追い散らし、おまえの汚れをすっかり取り除く。国々の民が見ている前で、おまえはおまえ自身によって汚される。そのときおまえは、わたしが主であることを知る。』」 罪は誰かのせいではありません。心に満ちているものが口から出るし、行動になります。(マタイ12.33-34)神様をお迎えしなければ僕らの内側からは悪いものばかりが出ます。そして罪は僕らの人生を破壊します。他人のせいではありません。今日、自分の内側にある小さなゴミを放置せず、ちゃんと口に出して謝りましょう。罪を放置するならその結果は悲惨です。でも、罪を認めて告白するならどんな罪もきよめられます。今日も全ての人がきよめられ、主に満たされますように。 (1ヨハネ1:9) もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。

0 件のコメント:

コメントを投稿