僕らは神様のことが全部は分かりません。 象の足にくっついている蟻のようです。蟻は象の全部は知りません。 同じように、 神様のほんの一部を僕らは知らされているだけです。 出来事の全ては神様だけがご存知です。「人がもし、何かを知っていると思ったら、その人はまだ知らなければならないほどのことも知ってはいないのです。」とあります。(1コリント8.2)
僕らにはわからない死後の世界のことは、神様だけが全てをご存知です。ヨブは神様について語ることができる人でした。
(5-6)
死者の霊たち、水に住む者たちはその底で、もだえ苦しむ。
よみも神の前では裸であり、滅びの淵もおおわれることはない。
ヨブは死後の世界について、そして、この世界がどのように創造されたかを語ります。ですが、それは神様についてのごく一部だけです。
(7-11)
神は北を、茫漠としたところに張り広げ、地を、何もないところに掛けられる。神は水を濃い雲の中に包まれるが、雲はその下で裂けることはない。神は満月の面をおおい、その上に雲を広げ、水の面に円を描いて、光と闇との境とされた。天の柱は揺らぎ、神の叱責に驚愕する。
僕らも聖書を通して、経験を通して、自然界を通して神様のすごさを知らされています。でも、それはほんの少しに過ぎません。
(14)
見よ、これらは神のみわざの外側にすぎない。私たちは神についてささやきしか聞いていない。御力を示す雷を、だれが理解できるだろうか。
神様とお会いする時、全てがわかります。今はほんの一部だけ、少しだけです。なので「神様はこうだ」と言い過ぎるのは傲慢です。今は全部はわからないことも受け入れましょう。あとで全てがわかります。そして、神様を愛する人には無駄なことはなく、全てが益とされます。(ローマ8.28)全部わからなくても、そのままで大丈夫です。神様は素晴らしく良い方です!
(1コリント13:12)
今、私たちは鏡にぼんやり映るものを見ていますが、その時には顔と顔とを合わせて見ることになります。今、私は一部分しか知りませんが、その時には、私が完全に知られているのと同じように、私も完全に知ることになります。
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