言ってやりたい!教えてやりたい!という気持ちにコントロールが効かないならそれは神様から出たものではありません。御霊にによる発言にはセルフコントロール(自制)があります。(ガラテヤ5.23)エリフがヨブに「言ってやりたい!」という気持ちは割れそうな風船のよう、発酵して割れそうなぶどう酒の袋のようでした。
(18-21)
私にはことばがあふれていて、内なる霊が私を圧迫しているからだ。
今、私の腹は抜け口のないぶどう酒のよう。新しい皮袋のように、張り裂けようとしている。私は話して、気分を晴らしたい。唇を開いて答えたい。私はだれも、えこひいきしない。どんな人にも、へつらったりしない。
人の怒りは神様の義の表れではありません。だのに、自分は正しい!教えてやりたい!と思いたいのが僕ら人間です。エリフはヨブの欠点を攻撃します。ヨブは神でもないのに自分を義としている、ということを怒ります。
(2)
彼は、ヨブが神よりも自分自身のほうを義としたので、ヨブに向かって怒りを燃やしたのである。
イエス様は他人の欠点に目をつける人はもっと大きな欠点があるとおっしゃいます。(マタイ7.2-3)「人の怒りは、神の義を実現するものではありません。」(ヤコブ1.20)
僕らの心がいつも御霊がくださる平安に満ちますように。
(ヤコブ3:17-18)
上からの知恵は、第一に純真であり、次に平和、寛容、温順であり、(…中略…)義の実を結ばせる種は、平和をつくる人によって平和のうちに蒔かれます。
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