イエス様は滅んでいく僕らをを愛し、身代わりに罪を背負い、十字架で神の怒りと呪いを受けてくださった方です。罪のある僕らは汚れたものであるのに、イエス様によって無罪とされ、曲がったことを言ってきたのに誠実だと認められます。
(23-24)
もし彼のそばに、一人の御使いが、千人に一人の仲介者がいて、その方が彼に代わって彼が誠実であることを告げてくれるなら、
神は彼をあわれんで仰せられる。「彼を救って、滅びの穴に下って行かないようにせよ。わたしは身代金を見出した」と。
滅んでいく罪人の身代金とは、イエス様の命です。
しかも、汚れた罪人は赦されるだけでなく、心も体も新しく、完全なものに回復します。
(25-26)
その肉は幼子のように新しくされて、彼は青年のころに戻る。
彼は、神に祈ると受け入れられる。彼は歓喜の声をもって御顔を仰ぎ、神はその人の義に報いてくださる。
この預言は本当です。今は僕らに悲しみも病もありますが、やがてイエス様とお会いする日には体も心も完璧に変えられます。その時、全ての悲しみや痛みは消え去り、喜びと平安だけが僕らに与えられます。
エリフは怒りながらも、爆発しながらも、 イエスキリストを預言しています。僕らがどんなに曲がっていても、汚れていても、イエス様によって怒りと呪いは免れます。イエス様は何度も僕らをゆるし、きよめ、滅びないようにしてくださいます。
(27-30)
彼は人々を見つめて言う。「私は罪ある者で、真っ直ぐなことを曲げてきた。しかし私は、当然の報いを受けなかった。
神は、私が滅びの穴に下らないように、私のたましいを贖い出してくださった。私のいのちは光を見ることができる」と。
見よ、このすべてのことを神は行われる。二度も三度も、人に対して。
人のたましいを滅びの穴から引き戻し、いのちの光で照らされる。
僕らはただイエス様に感謝するしかありません。僕らは何も自慢できません。エリフは怒りながら、自制心を失いながらも、神様は彼の口を用いてイエス様の恵みを預言します。僕らはただ、感謝するだけです。立派な人が預言するのではなく、全てが神様の恵みです。感謝しましょう。ひれ伏しましょう。ハレルヤ!
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