2022年12月13日火曜日

エゼキエル9章

エゼキエル9章 僕らが周りで起きている罪を悲しみ嘆くことは、神様と同じ気持ちになることです。その人は神様のさばきに会いません。 神様の裁きはあります。僕らは全員最後に神様の裁きに会います。そのさばきを免除される人たちのことが今日の箇所に書かれています。さばきはすでに旧約聖書の時代にイスラエルに対して行われ、今日も警告として伝えられています。 (9-10) 主は私に言われた。「イスラエルとユダの家の咎は非常に大きく、地は流血で満ち、都も不正で満ちている。彼らは『主はこの地を見捨てられた。主は見ておられない』と言っているのだ。だから、わたしもあわれみをかけない。わたしは惜しまない。わたしは彼らの頭上に彼らの行いを返す。」 この時、さばきを免除される人たちがいました。それは周りで行われている罪を見聞きするたびにそれを忌み嫌い、嘆き悲しんでいる人たちです。神様はの額にしるしをつけるように言われます。 (3-6) ケルビムの上にあったイスラエルの神の栄光が、ケルビムから立ち上り、神殿の敷居へ向かっていた。腰に書記の筆入れを付け、亜麻布の衣をまとっている者を呼び寄せて、主は彼にこう言われた。「都の中、エルサレムの中を行き巡り、ここで行われているすべての忌み嫌うべきことを嘆き悲しんでいる人々の額に、しるしをつけよ。」 神様は全ての人を滅ぼすように命令しますが、「忌み嫌うべきことを嘆き悲しんでいる」というしるしが付いている人には「近づいてはならない」と命令されます。 (5-6) また、私が聞いていると、ほかの者たちに主はこう言われた。「この者の後について都の中を行き巡って、打ち殺せ。あわれみをかけてはならない。惜しんではならない。年寄りも、若い男も、若い娘も、幼子も、女たちも殺して滅ぼせ。しかし、しるしが付けられた者には、だれにも近づいてはならない。まず、わたしの聖所から始めよ。」 今も人類全員に対する神様のさばきは用意されています。そこから救われる人とは、それは周りで行われている罪、不正、偶像礼拝、淫行の話を聞くたびにがっかりし、悲しみ、祈ることです。これは「しるし」です。この悲しみは神様ご自身の悲しみです。イエス様を信じた人は、神様の霊(聖霊)が与えられ、同じ気持ちになって悲しみ、嘆きます。また、神様が侮辱される時には一緒に侮辱され苦しみます。聖書によると、「しるし」とはキリストと一緒に苦しむことです。 (ピリピ 1:28-29) それは(キリストに反対することは)、彼らにとっては滅びのしるしであり、(迫害を受け苦しむことは)あなたがたにとっては救いのしるしです。これは神から出たことです。あなたがたは、キリストのために、キリストを信じる信仰だけでなく、キリストのための苦しみをも賜わったのです。 (2テサ1:4-5) あなたがたがすべての迫害と患難とに耐えながらその従順と信仰とを保っていることを、誇りとしています。このことは、あなたがたを神の国にふさわしい者とするため、神の正しいさばきを示すしるしであって、あなたがたが苦しみを受けているのは、この神の国のためです。 人が神様を軽んじ侮辱していることに傷つき、悲しむことはイヤなものです。でも、それは聖霊を受けた人だけに与えられている神様のための苦しみであり、キリストのためのささげものであり、神様の側についている人の特権です。イエス様は今日も人の罪を悲しみつつ、忍耐しつつ、祈り続けてくださる神様です。僕らも悲しみながらも忍耐し祈りましょう。善を行なっていて苦しみを受け、それを耐え忍ぶとしたら、それは、神に喜ばれることです。(1ペテロ2.21)悲しいけど、大丈夫です。喜ばれています!

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