2022年12月13日火曜日

エゼキエル5章

エゼキエル5章 神様は愛の方、優しい方って習ったのに、旧約聖書を読むと神様は人を殺し徹底的に破壊するじゃないか、どうしてそこまでするのか…と思います。しかし、神様が忌み嫌い叩き潰すのは「罪」です。そして、神様が敵視するのも罪です。罪は僕らを神様から引き離します。だから神様は罪に対して妬み、徹底して攻撃します。 (13) わたしの怒りが出し尽くされると、わたしは彼らに対する憤りを収めて満足する。わたしが彼らに対する憤りを終わらせたとき、彼らは、主であるわたしが、ねたみをもって語ったことを知る。 神様はねたむ神様です。(出エジプト20.5)例えば、他の男が自分の妻を誘惑し、妻もその男を選び愛するなら夫は激怒するのが当然だし正しいです。神様にとってイスラエルは愛する妻であり、愛する子どもであり、宝であり、聖なる民でした。その彼らが偶像を慕い愛することは神様が激しく傷つけられることです。神様が怒り復讐するのは正しいことです。6章では「わたしから離れた彼らの姦淫の心と、偶像を慕う彼らの姦淫の目に、わたし(神様)がどんなに傷ついたかを思い起こす。」とあります。(6.9)正しい復讐は神様だけがすることができます。 神さまは徹底して罪を敵視し、対抗し、叩き潰します。なので、もし罪から離れないならば民も神様の怒りと裁きの前に一緒に滅ぼされてしまいます。 (11-12) それゆえ──神である主のことば──わたしは生きている。あなたが、あらゆる忌まわしいものと、あらゆる忌み嫌うべきことによって、わたしの聖所を汚したので、わたしもまた身を引き、あわれみをかけない。わたしもまた、惜しまない。 あなたの三分の一は疫病で死ぬか、あなたのただ中で飢饉によって滅び、三分の一はあなたの周りで剣に倒れ、残りの三分の一を、わたしは四方に散らし、剣を抜いて彼らの後を追う。 神様は徹底抗戦です。罪に対しては情け容赦はありません。確実に潰します。僕らに対しても例外ではありません。罪から離れないなら一緒に滅ぼされてしまいます。神様の怒りと裁きは正しく、聖なるものです。 神様は愛の方です。徹底して愛しておられます。なんと、神様の怒りと裁きは僕らの上ではなくイエス様の上に注がれました。イエス様は罪人の代表として呪われ、見捨てられ、殺されました。そこに情け容赦はありませんでした。 神様の怒りと裁きはイエス様が引き受けてくださいました。神様の愛は徹底しています。罪を忌み嫌い、叩き潰す神様が、イエス様を僕らの身代わりにして殺しました。イエス様によってだけ僕らは神様の怒りは過ぎ越されます。 神様の愛は今日も徹底しています。そして、神様のねたみと怒りも徹底的です。罪は神様にとって忌み嫌う敵です。今日も罪から離れましょう。捨てましょう。そんなことをしても何もいいことはありません。神様はねたみ、怒るほどに僕らを愛しておられます。主を恐れましょう。ハレルヤ!

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