2022年12月13日火曜日

黙示録9.1-11

僕らは神様の恵みや愛を語るのは好きですが、神様の裁きを語りたくありません。ところが神様は「この預言の書のことばを少しでも取り除く者があれば、神は、この書に書いてあるいのちの木と聖なる都から、その人の受ける分を取り除かれる。」とおっしゃいます。(黙示録22:19) 神様は今日、僕らの世界の終わりのさばきについて教えてくださっています。神様のさばきはあります。今は善人にも悪人にも良いものを与えてくださっている神様です。(マタイ5.45)でも、この世の終わりにはイエス様を信じて聖霊を与えられて証印を押されている人と押されてない人の区別がはっきりとします。神様のさばきは「額に神の印を持たない人」(4)にだけです。 神様は裁きの時に悪魔とその手下に許可を与えます。裁かれる人たちは「獣とその像を拝み、自分の額か手に刻印を受ける」人たちだと思われます。(14:9)悪魔と悪霊はこの世の繁栄や快楽を与えて誘惑しますが、悪魔に従う人たちの先は神様の怒りと裁きを受けることが決まっています。 イエス様は悪魔の働きを許可して裁きをなさいます。聖書全体によれば、悪魔はイエス様の力には勝てません。今は活動が制限されています。ところが最後の時代になると「底知れぬ所」に閉じ込められていた破壊者(悪魔の手下)に許可が与えられ、そこから出て来たイナゴが人々を苦しめます。 (1-6) 第五の御使いがラッパを吹いた。すると私は、一つの星が天から地に落ちるのを見た。その星には、底知れぬ所に通じる穴の鍵が与えられた。 それが底知れぬ所に通じる穴を開くと、穴から大きなかまどの煙のような煙が立ち上り、太陽と空はこの穴の煙のために暗くなった。 その煙の中からいなごが地上に出て来た。それらには、地のサソリが持っているような力が与えられた。 そして彼らは、地の草やどんな青草、どんな木にも害を加えてはならないが、額に神の印を持たない人たちには加えてよい、と言い渡された。 その人たちを殺すことは許されなかったが、五か月間苦しめることは許された。彼らの苦痛は、サソリが人を刺したときの苦痛のようだった。 その期間、人々は死を探し求めるが、決して見出すことはない。死ぬことを切に願うが、死は彼らから逃げて行く。 神様の裁きは彼らが生きたまま5か月苦しむことです。死にたいのに死ねない、という苦しみです。これは生き地獄です。 人は「死んだらラクになる」と思いがちですが、黙示録によると悪魔に従う人は死んだ後も安らぎがありません。 「彼らの苦しみの煙は、世々限りなく立ち上る。獣とその像を拝む者たち、また、だれでも獣の名の刻印を受ける者には、昼も夜も安らぎがない。」(14:11) 死にたいのに死ねず、生きたまま5か月苦しみ続けるのも拷問のようですが、実は死んだ後にはそれが永遠に続くと聖書は言います。 イエス様は今日も僕らに福音を預けてくださっています。「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから。」(マタイ4.17) 天の御国が近くなり、完全な祝福と喜びだけの世界が近づくことは信仰者にとっては安心、安全です。でも、イエス様に反抗する人たちにとっては、永遠の苦しみが近づくことです。 裁きをそのまま伝えることは神様の恵みと愛です。神様、どうぞ全ての人たちを憐れんでください。

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