僕らが生きているのは僕らの努力によりません。僕らは自分で心臓を動かすことも酸素を取り入れることもできません。ただ、神様がちりから僕らを作り、そのように生かしておられます。命は100パーセント神様からのプレゼントです。食べ物を作り与えてくださるのも100パーセント神様の力です。預言者エリヤは神様の力とそのことばを信じ、神様に従いました。
アハブ王はバアルという偶像を積極的に人々を拝ませ、バアルは雨を降らせて土地を豊かにする豊穣の神と言われていました。神様はそんなアハブに逆に雨を降らなくさせます。
(1)
ギルアデの住民であるティシュベ人エリヤはアハブに言った。「私が仕えているイスラエルの神、主は生きておられる。私のことばによるのでなければ、ここ数年の間、露も降りず、雨も降らない。」
アハブ王が気に入らない預言をしたエリヤは命を狙われます。そんなエリヤを神様は養い守ってくださいます。神様はことばで守られる方法を教えてくれました。エリヤの命を守るのはエリヤの力でなく、神様のことばに従うことだけです。
(2-6節)
それから、エリヤに次のような主のことばがあった。
「ここを去って東へ向かい、ヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに身を隠せ。
あなたはその川の水を飲むことになる。わたしは烏に、そこであなたを養うように命じた。」
そこでエリヤは行って、主のことばどおりにした。彼はヨルダン川の東にあるケリテ川のほとりに行って住んだ。
何羽かの烏が、朝、彼のところにパンと肉を、また夕方にパンと肉を運んで来た。彼はその川から水を飲んだ。
神様がおっしゃるように、カラスが食事を運んでくるとか、川の水を飲むとか、常識では考えられないことです。でも、エリヤは従い、守られます。僕らは神様よりも自分の考えを上にしたがり、神様より常識に従う方が良いとか、カラスが運ぶパンとか肉は嫌だとか言います。でも、神様が言われたことばは実現します。エリヤは神様のことばに従うことだけが全てでした。
やがて川の水は枯れますが、次に神様はエリヤを守る方法を教えてくださいました。
(8-9)
すると、彼に次のような主のことばがあった。
「さあ、シドンのツァレファテに行き、そこに住め。見よ。わたしはそこの一人のやもめに命じて、あなたを養うようにしている。」
「やもめ」とは夫と死別した女性のことで、この当時は極貧の身分でした。しかもこの時、だれもが食料を確保できない飢饉の時です。
神様はそのような時に「やもめ」を用いてエリヤを養います。僕らが考える常識やプライドと神様のなさる方法は全然違います。
(10-16)
彼はツァレファテへ出て行った。その町の門に着くと、ちょうどそこに、薪を拾い集めている一人のやもめがいた。そこで、エリヤは彼女に声をかけて言った。「水差しにほんの少しの水を持って来て、私に飲ませてください。」
彼女が取りに行こうとすると、エリヤは彼女を呼んで言った。「一口のパンも持って来てください。」
彼女は答えた。「あなたの神、主は生きておられます。私には焼いたパンはありません。ただ、かめの中に一握りの粉と、壺の中にほんの少しの油があるだけです。ご覧のとおり、二、三本の薪を集め、帰って行って、私と息子のためにそれを調理し、それを食べて死のうとしているのです。」
エリヤは彼女に言った。「恐れてはいけません。行って、あなたが言ったようにしなさい。しかし、まず私のためにそれで小さなパン菓子を作り、私のところに持って来なさい。その後で、あなたとあなたの子どものために作りなさい。
イスラエルの神、主が、こう言われるからです。『主が地の上に雨を降らせる日まで、そのかめの粉は尽きず、その壺の油はなくならない。』」
彼女は行って、エリヤのことばのとおりにした。彼女と彼、および彼女の家族も、長い間それを食べた。
エリヤを通して言われた主のことばのとおり、かめの粉は尽きず、壺の油はなくならなかった。
僕らが生きているのは僕らの常識とか努力ではありません。神様のみことばによります。神様のことばは常識やプライドを超えて確かです。神様が僕らの命です。今日も僕らが自分で生きているのではありません。神様のことばで生かされています。力を抜いて、感謝しましょう。大丈夫です!
(マタイ4.4)
『人はパンだけで生きるのではなく、神の口から出る一つ一つのことばによる。』
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