2023年1月11日水曜日

1列王記20.22-43

 神様を「知っている」とか「すごい体験をした」のと神様に「従う」のは全然違います。イスラエルの王は神様のことばを聞き、神様の奇跡を体験して敵に勝利しますが、それでも従うつもりはなかったようです


(27-30節)

イスラエル人は彼らと向かい合って、二つの小さなやぎの群れのように陣を敷いたが、アラム人はその地に満ちていた。

ときに、一人の神の人が近づいて来て、イスラエルの王に言った。「主はこう言われる。『アラム人が、主は山の神であって低地の神ではない、と言っているので、わたしはこの大いなる軍勢をすべてあなたの手に渡す。そうしてあなたがたは、わたしこそ主であることを知る。』」両軍は互いに向かい合って、七日間、陣を敷いていた。七日目になって戦いに臨んだが、イスラエル人は一日のうちにアラムの歩兵十万人を打ち殺した。,生き残った者たちはアフェクの町に逃げたが、その生き残った二万七千人の上に城壁が崩れ落ちた。ベン・ハダドは逃げて町に入り、奥の間に入った。


敵のアラム軍は地に満ちるほどの大軍で、イスラエルは小さなヤギの群れのようでした。そんなわずかな兵力で勝てたのは、神様の力です逃げた敵軍の上に城壁が崩れ落ちたのも神様の力です勝利の目的はその体験によって「わたし(神)こそ主であることを知る」ためですですが、王は神様に感謝することもなく、従うこともありませんでした。

神様は敵を滅ぼし尽くそうとしていたのですが、イスラエルの王アハブは敵の王ベン・ハダドを自分の車に乗せ、相手からの調子の良い申し出に気持ちよくなり、契約を結んで帰らせます。


(33-34節)

ベン・ハダドが王のところに出て来ると、王は彼を戦車に乗せた。

ベン・ハダドは彼に言った。「私の父が、あなたの父上から奪い取った町々をお返しします。あなたは私の父がサマリアにしたように、ダマスコに市場を設けることもできます。」「では、契約を結んで、あなたを帰そう。」こうして、アハブは彼と契約を結び、彼を去らせた。


(42-43節)

彼(預言者)は王に言った。「主はこう言われる。『わたしが聖絶しようとした者をあなたが逃がしたので、あなたのいのちは彼のいのちの代わりとなり、あなたの民は彼の民の代わりとなる。』」

イスラエルの王は不機嫌になり、激しく怒って自分の宮殿に戻って行き、サマリアに着いた。


イスラエルのアハブ王は神様の奇跡的な救いや勝利を体験したのに、それよりも自分の判断、自分の気持ちよさや情が優先でした。神様に従うつもりはありませんでした。神様よりも自分ですこれが僕らの罪の特徴です。さらに、そのことを指摘されると「不機嫌になり、激しく怒って」自分の宮殿に帰ります。神様に指図されたくない、というのが僕らの頑固さです


僕らは神様のあわれみや赦し、奇跡の話は大好きですが、いつまでたっても自分の判断や気持ちよさにこだわるガンコさを持っています。それは不機嫌になり、イライラすることでわかります。不機嫌になったら自分に聞いて見ましょう。何が思い通りにならなかったのか、神様より自分の思いを優先したいことは何なのか。不機嫌やイライラには必ず頑固さ、神様より自分が上、という高慢がつきまとっています。


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