神様は「恩知らずな者にも悪人にもあわれみ深い」方です。自分を嫌い、自分を憎み、悪口を言い、けなす人を愛し、その人の祝福を祈ってくださるのはイエス様ご自身です。イエス様は十字架の上で苦しみ、自分を殺す人たちを赦し、愛し、祈ってくださいました。だから、イエス様を信じイエス様の御霊を頂いた僕らにもそうしなさい、と言います。
(27-31)
しかし、これを聞いているあなたがたに、わたしは言います。あなたがたの敵を愛しなさい。あなたがたを憎む者たちに善を行いなさい。
あなたがたを呪う者たちを祝福しなさい。あなたがたを侮辱する者たちのために祈りなさい。
あなたの頬を打つ者には、もう一方の頬も向けなさい。あなたの上着を奪い取る者には、下着も拒んではいけません。
求める者には、だれにでも与えなさい。あなたのものを奪い取る者から、取り戻してはいけません。
人からしてもらいたいと望むとおりに、人にしなさい。
敵を愛するなんて、侮辱し、呪う人たちの祝福を祈るなんて、そんな気持ちにはなれません。むしろ、敵に仕返ししてやり、呪ってやり、侮辱してやりたいと思うのが僕らの反応です。でも、聖書が教える愛とは「僕らの反応」ではなく、「僕らの気持ち」でもありません。それは「神様の願い、神様の反応、神様の決断」です。僕らの中からは敵に対する冷酷さや怒りや憎しみしか出てきません。でも、神様が与えてくださる聖霊は僕らに新しい心を、神様の心を与えてくださいます。
まず、自分の冷酷さ、怒り、憎しみを認めましょう。そして、自分からではなく、神様が与えてくださる新しい心を求めましょう。求める人には必ず聖霊が与えられます。(ルカ11.13)敵を愛し、敵に与え、敵に与えることで貧しくなっても、立場やメンツも失っても大丈夫です。「あなたがたの受ける報いは多く、あなたがたは、いと高き方の子どもになります。」とイエス様が言ってくださってます。(35)
僕ら人間は恩知らずだし、自分の損得で動きます。でも、天の神様は罪人を愛し、敵を愛し、憐れみ、与える方です。
(32-36節)
自分を愛してくれる者たちを愛したとしても、あなたがたにどんな恵みがあるでしょうか。罪人たちでも、自分を愛してくれる者たちを愛しています。自分に良いことをしてくれる者たちに良いことをしたとしても、あなたがたにどんな恵みがあるでしょうか。罪人たちでも同じことをしています。返してもらうつもりで人に貸したとしても、あなたがたにどんな恵みがあるでしょうか。罪人たちでも、同じだけ返してもらうつもりで、罪人たちに貸しています。しかし、あなたがたは自分の敵を愛しなさい。彼らに良くしてやり、返してもらうことを考えずに貸しなさい。そうすれば、あなたがたの受ける報いは多く、あなたがたは、いと高き方の子どもになります。いと高き方は、恩知らずな者にも悪人にもあわれみ深いからです。あなたがたの父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くなりなさい。
あなたを呪い、あなたを侮辱し、あなたに敵対する人の名前をあげましょう。
「神様、私は( )さんから呪われ、嫌われ、侮辱されています」と祈りましょう。
神様はその人を愛し、その人を赦し、その人の祝福のためにイエス様の命さえも犠牲にしてくださいました。
神様はその人を愛し祝福しておられます。僕らの心も体も、神様の愛を現す器官とされるように祈り、ささげましょう。
「神様、( )さんを愛し、祝福する新しい心を与えてください。私は( )をゆるし、祝福し、愛します」と祈りましょう。
愛は神様から出ます。僕らから、ではなく神様から出ます。必ず与えられます!
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