ダビデは息子アブシャロムに裏切られクーデターに会った時、自分が信頼して最も有能だった相談役に裏切られてしまいました。
その人の名はアヒトフェルです。彼の意見はまるで神様の意見のように思えるほどにすごい人でした。彼はダビデを裏切りアブシャロム側に付きました。
(2サムエル 16:23)
当時、アヒトフェルの進言する助言は、人が神のことばを伺って得ることばのようであった。アヒトフェルの助言はみな、ダビデにもアブシャロムにもそのように思われた。
天才アヒトフェルが敵側についたときに、ダビデは祈りました。
(2サムエル 15:31)
ダビデは、「アヒトフェルがアブシャロムの謀反に荷担している。」という知らせを受けたが、そのとき、ダビデは言った。「主よ。どうかアヒトフェルの助言を愚かなものにしてください。」
もう一人、ダビデが信頼している友人かつ相談役がいました。名前はフシャイです。彼は裏切ることなくダビデ側に付きました。彼はダビデの悲しみを自分の悲しみのようにしています。
(2サムエル 15:32)
アルキ人フシャイが上着を裂き、頭に土をかぶってダビデに会いに来た。
ところがダビデは彼に敵側につくように命令します。目的は2つあります。1つは裏切った天才であるアヒトフェルの作戦を壊すこと、もう一つは敵の動きをこちらに密告することです。
(2サムエル 15:34-36)
しかしもし、あなたが町に戻って、アブシャロムに、『王よ。私はあなたのしもべになります。これまであなたの父上のしもべであったように、今、私はあなたのしもべになります。』と言うなら、あなたは、私のために、アヒトフェルの助言を打ちこわすことになる。(…中略…)あなたは王の家から聞くことは何でも、祭司のツァドクとエブヤタルに告げなければならない。(…中略…)彼らのふたりの息子、ツァドクの子アヒマアツとエブヤタルの子ヨナタンがいる。彼らをよこして、あなたがたが聞いたことを残らず私に伝えてくれ。」
いよいよアブシャロムはダビデを殺す計画を立てます。まず、アヒトフェルに戦略を出させます。さすがの戦略で、アブシャロムも長老たち全員も気に入ります。
(1-4節)
アヒトフェルはさらにアブシャロムに言った。「私に一万二千人を選ばせてください。私は今夜、ダビデのあとを追って出発し、彼を襲います。ダビデは疲れて気力を失っているでしょう。私が、彼を恐れさせれば、彼といっしょにいるすべての民は逃げましょう。私は王だけを打ち殺します。私はすべての民をあなたのもとに連れ戻します。すべての者が帰って来るとき、あなたが求めているのはただひとりだけですから、民はみな、穏やかになるでしょう。」このことばはアブシャロムとイスラエルの全長老の気に入った。
アブシャロムにはこのような天才が自分の側にいることは喜びでした。さらに、元ダビデのブレーンだったもう一人の意見も求めます。ダビデの側近が2人とも自分についていることは彼のプライドをくすぐります。神様はダビデの祈りに答えてくださり、アヒトフェルの意見でなくフシャイの意見が採用されるようにしてくださいました。
(5-13節)
しかしアブシャロムは言った。「アルキ人フシャイを呼び出し、彼の言うことも聞いてみよう。」
(…中略…)フシャイはアブシャロムに言った。「このたびアヒトフェルの立てたはかりごとは良くありません。」
(…中略…)私のはかりごとはこうです。全イスラエルをダンからベエル・シェバに至るまで、海辺の砂のように数多くあなたのところに集めて、あなた自身が戦いに出られることです。われわれは、彼を見つけしだい、その場で彼を攻め、露が地面に降りるように彼を襲い、彼や、共にいるすべての兵士たちを、ひとりも生かしておかないのです。もし彼がさらにどこかの町にはいるなら、全イスラエルでその町に綱をかけ、その町を川まで引きずって行って、そこに一つの石ころも残らないようにしましょう。」
神様がアヒトフェルの作戦を壊してくださいました。「主よ。どうかアヒトフェルの助言を愚かなものにしてください。」というダビデの祈りは聞かれます。また、祈りだけでなく、神様を信頼してフシャイに行動するように託したことも用いられます。祈りは行動になります。両者はいつもセットです。それで、アブシャロムはフシャイの意見の方が良いと思い、フシャイの作戦が採用されます。全てが神様によります。
(14節)
アブシャロムとイスラエルの民はみな言った。「アルキ人フシャイのはかりごとは、アヒトフェルのはかりごとよりも良い。」これは主がアブシャロムにわざわいをもたらそうとして、主がアヒトフェルのすぐれたはかりごとを打ちこわそうと決めておられたからであった。
この作戦はダビデに密告され、ダビデたちはその夜のうちに逃げて助かりました。祈りは聞かれます。そして、ダビデの王座が永遠に守られる、という神様のみことばも確かです。僕らが従うべきは天才のような人の意見ではなく、神様のみことばです。祈りは聞かれます。そして、祈りは行動することセットで用いられます。
神様に祈らず、求めず、人間のことばや人間の計画にこだわる人は必ず絶望します。なぜなら、どんなに有能な人でも思い通りになることはないからです。プライドが高い人ほどそうならないと絶望します。自分の意見に自信がある人は、うまくいくと高ぶり、そう出ないと落ち込みます。アヒトフェルは自分の意見が採用されなかったことで自殺します。彼は自分の意見に命をかけていたようです。人間の意見や自分の考えに命をかけることは愚かです。
(23節)
アヒトフェルは、自分のはかりごとが行なわれないのを見て、ろばに鞍を置き、自分の町の家に帰って行き、家を整理して、首をくくって死に、彼の父の墓に葬られた。
人のことばや自分のことばに信頼しそれに賭ける人は絶望します。でも、神様のことばに賭ける人は失望することがありません。僕らは意見を持ちますが、それよりも求めるべきは神様のことばです。そして、いつも自分の意見の通りにならなくてもいいです、と祈ることが大事です。それが主の祈りの「みこころが天で行われるように地でも行われますように」です。
だのに、危機的なとき、大変なとき、不安なときほど、僕らは人の意見ばかり求めがちです。その時こそ神様のみことば、確かなみことばを求める時です。どんな有能な人の意見も消えていきます。神様のみこころは実現します。そして僕らの思い通りにはならないものです。
主のことばは滅びることがありません。
失望は自分の願いにこだわることです。
希望は神様のみこころに自分を明け渡すことです。
今日も、僕らの意見でなく、神様の御心がなりますように。ハレルヤ!
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