ダビデ王は息子アブシャロムのクーデターに会いました。それで、ダビデは逃げるしかありませんでした。
王様だったのに食料も何もない逃亡者に転落です。その時に食料を持ってきてくれた人が「ツィバ」という人です。
この人は、ダビデの大親友だったヨナタン(戦死した親友)の息子メフィボシェテのしもべです。
ダビデは王様になった時、親友の子メフィボシェテをまるで自分の息子のように愛し、保護し、養っていました。彼は小さい時から足が不自由で歩けない子でした。
ダビデが逃げる時に、この息子メフィボシェテも「ダビデ王と一緒に逃げよう」と言ったのですが、なんと、しもべツィバは足の不自由なメフィボシェテを置き去りにして、自分だけがダビデ王に気に入られようとして、食料を持ってきました。あとでこのことがバレます。
平和な時には自分の傲慢さや高ぶりを隠すことができますが、いざ大変な状況になると僕ら人間は本性が丸出しになるようです。
ツィバはダビデに愛されている歩けないメフィボシェテを裏切り、自分だけダビデに気に入られようとします。
(1-2)
ダビデは山の頂から少し下った。見ると、メフィボシェテに仕える若い者ツィバが、王を迎えに来ていた。彼は、鞍を置いた一くびきのろばに、パン二百個、干しぶどう百ふさ、夏のくだもの百個、ぶどう酒一袋を載せていた。
王はツィバに尋ねた。「これらは何のためか。」ツィバは答えた。「二頭のろばは王の家族がお乗りになるため、パンと夏のくだものは若い者たちが食べるため、ぶどう酒は荒野で疲れた者が飲むためです。」
ダビデは当然「ヨナタンの息子、歩けないメフィボシェテはどうした?」と聞きます。
そこでツィバは嘘をついて、あの人は、『きょう、イスラエルの家は、私の父の王国を私に返してくれる。』と言っていました。」
と言います。意味は、イスラエルはダビデ王ではなく、私に王国を返してくれる、と言っていたいう意味です。
もともと、前の王様はメフィボシェテのおじいちゃん(サウル)でした。おじいちゃんサウルも、お父さんヨナタンも戦死したのでダビデが王様になりました。「イスラエルはダビデ王ではなく、(もともとウチの家系のものだった)私に王国を返してくれる、と言ってましたよ」という嘘を言って、メフィボシェテを裏切り、自分だけがダビデ王を助けにるためについて来た、とアピールします。ダビデはそれを信用してだまされます。
(3-4節)
王は言った。「あなたの主人の息子はどこにいるか。」ツィバは王に言った。「今、エルサレムにおられます。あの人は、『きょう、イスラエルの家は、私の父の王国を私に返してくれる。』と言っていました。」
すると王はツィバに言った。「メフィボシェテのものはみな、今、あなたのものだ。」ツィバが言った。「王さま。あなたのご好意にあずかることができますように、伏してお願いいたします。」
あとで、このウソはバレます。
クーデターが失敗してダビデが再びエルサレムに戻ってきたとき、本当はメフィボシェテが置いていかれ、ツィバにだまされたことがバレます。それでも、メフィボシェテは受けるべき罰を受ける覚悟でした。また、自分をだましたツィバが財産を欲しがっているのなら、それでいいです、とさえ言います。以下はダビデが戻ってきたときのメフィボシェテとの会話です。
(2サムエル19.24-30)
サウルの子メフィボシェテは、王を迎えに下って来た。彼は、王が出て行った日から無事に帰って来た日まで、自分の足の手入れもせず、爪も切らず、ひげもそらず、着物も洗っていなかった。
彼が王を迎えにエルサレムから来たとき、王は彼に言った。「メフィボシェテよ。あなたはなぜ、私といっしょに来なかったのか。」
彼は答えた。「王さま。私の家来(ツィバ)が、私を欺いたのです。このしもべは『私のろばに鞍をつけ、それに乗って、王といっしょに行こう。』と思ったのです。しもべは足なえですから。
ところが彼は、このしもべのことを、王さまに中傷しました。しかし、王さまは、神の使いのような方です。あなたのお気に召すようにしてください。
私の父の家の者はみな、王さまから見れば、死刑に当たる者に過ぎなかったのですが、あなたは、このしもべをあなたの食卓で食事をする者のうちに入れてくださいました。ですから、この私に、どうして重ねて王さまに訴える権利がありましょう。」
王は彼に言った。「あなたはなぜ、自分の弁解をくり返しているのか。私は決めている。あなたとツィバとで、地所を分けなければならない。」
メフィボシェテは王に言った。「王さまが無事に王宮に帰られて後なら、彼が全部でも取ってよいのです。」
さて、ダビデは逃亡中にずっと呪いの言葉を浴びせられます。彼はしつこく付きまとって呪い続けます。呪いとは「お前は災いにあう」と宣言することです。
(5-8節)
ダビデ王がバフリムまで来ると、ちょうど、サウルの家の一族のひとりが、そこから出て来た。その名はシムイといってゲラの子で、盛んにのろいのことばを吐きながら出て来た。
そしてダビデとダビデ王のすべての家来たちに向かって石を投げつけた。民と勇士たちはみな、王の右左にいた。
シムイはのろってこう言った。「出て行け、出て行け。血まみれの男、よこしまな者。
主がサウルの家のすべての血をおまえに報いたのだ。サウルに代わって王となったおまえに。主はおまえの息子アブシャロムの手に王位を渡した。今、おまえはわざわいに会うのだ。おまえは血まみれの男だから。」
(13節)
ダビデと彼の部下たちは道を進んで行った。シムイは、山の中腹をダビデと平行して歩きながら、のろったり、石を投げたり、ちりをかけたりしていた。
ダビデの家来は当然「あいつを殺させてください」と言いますが、ダビデはそれを止めさせます。
ダビデは神様の許可の中で試練があることを知っていました。息子アブシャロムが自分を裏切りクーデターを起こすことも、シムイが呪い続けることも神様の許可の中でした。だから、ダビデは裁きを神様に委ねました。
聖書は一貫して復讐は神様のものである、と教えています。
(9-12節)
すると、ツェルヤの子アビシャイ(ダビデの家来でトップ2の一人です。将軍ヨアブの弟です。)が王に言った。「この死に犬めが、王さまをのろってよいものですか。行って、あの首をはねさせてください。」
王は言った。「ツェルヤの子らよ。これは私のことで、あなたがたには、かかわりのないことだ。彼がのろうのは、主が彼に、『ダビデをのろえ。』と言われたからだ。だれが彼に、『おまえはどうしてこういうことをするのだ。』と言えようか。」
ダビデはアビシャイと彼のすべての家来たちに言った。「見よ。私の身から出た私の子さえ、私のいのちをねらっている。今、このベニヤミン人としては、なおさらのことだ。ほうっておきなさい。彼にのろわせなさい。主が彼に命じられたのだから。
たぶん、主は私の心をご覧になり、主は、きょうの彼ののろいに代えて、私にしあわせを報いてくださるだろう。」
イエス様も弟子たちに裏切られ、ありもしないことで悪口を言われ、呪われ続けました。しかし、裁きは神様にお委ねしました。
イエス様の姿も、ダビデの姿も僕らの模範です。
(ペテロ 2:21-23)
あなたがたが召されたのは、実にそのためです。キリストも、あなたがたのために苦しみを受け、その足跡に従うようにと、あなたがたに模範を残されました。
キリストは罪を犯したことがなく、その口に何の偽りも見いだされませんでした。
ののしられても、ののしり返さず、苦しめられても、おどすことをせず、正しくさばかれる方にお任せになりました。
今日も僕らはがっかりする出来事に遭遇します。でも、神様の許可の中でしか起こりません。僕らの心が今日もイエス様に習って一緒に忍耐し、人の呪いのことばでなく、神様の祝福のみことばを思い巡らしますように。
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