僕らは学校で「がんばって結果を手に入れなさい」と習ってきました。ですが、天の御国に入る人は、親に守られ愛され良いものを与えられる小さな子どものような人だとイエス様は言われました。その人は天のお父さんである神様に信頼し委ねる人です。
(13-14節)
そのとき、イエスに手を置いて祈っていただくために、子どもたちが連れて来られた。ところが、弟子たちは彼らをしかった。
しかし、イエスは言われた。「子どもたちを許してやりなさい。邪魔をしないでわたしのところに来させなさい。天の御国はこのような者たちの国なのです。」
反対に、天の御国に入るのが難しい人はどんな人か、続きに書かれています。
(16節)
すると、ひとりの人がイエスのもとに来て言った。「先生。永遠のいのちを得るためには、どんな良いことをしたらよいのでしょうか。」
この人は天の御国のいのちを頂くにはがんばって良い行いをすればよいと思っています。
イエス様はこの人の考えに合わせて、努力して永遠のいのちを手に入れると思うなら神様の教えを完璧に守ってごらん、と答えます。そして、この人はやる気満々で「どの戒めですか?」と答え、「戒めは全部守っています」と答えます。
(17-20節)
(…中略…)もし、いのちにはいりたいと思うなら、戒めを守りなさい。」彼は「どの戒めですか。」と言った。そこで、イエスは言われた。「殺してはならない。姦淫してはならない。盗んではならない。偽証をしてはならない。父と母を敬え。あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」この青年はイエスに言った。「そのようなことはみな、守っております。何がまだ欠けているのでしょうか。」
「あなたの隣人をあなた自身のように愛せよ。」隣人が困っている時は自分が困っていると同じように、相手が悲しんでいる時は自分の悲しみのように、相手が貧しくて飢えている時は自分が飢えているように助けなさい、というよう意味です。
この青年は「そのようなことはみな、守っております」と言いましたが、イエス様は彼ができていないことを教える必要がありました。
(21-22節)
イエスは、彼に言われた。「もし、あなたが完全になりたいなら、帰って、あなたの持ち物を売り払って貧しい人たちに与えなさい。そうすれば、あなたは天に宝を積むことになります。そのうえで、わたしについて来なさい。」ところが、青年はこのことばを聞くと、悲しんで去って行った。この人は多くの財産を持っていたからである。
彼は財産は自分のものだと思っていたようです。財産が悪いのではありませんが、財産は神様からの預かりものです。財産は神様と隣人に感謝し分け合うためのものです。神様から与えられたものを感謝して分け合うのが天の子どもです。
この人はお金は自分の努力で手に入れるものだと思っていたようです。彼は貧しい人たちに与えることができずに去って行きました。
僕らも、神様のことばを聞くことがなければ、彼と同じように与えるよりも手に入れること、分け合うことよりも集めることを選び、与えることを拒否します。与えたら自分が困る、と不安に思うかもしれません。でも聖書は言います。
(ヘブル 13:5)
金銭を愛する生活をしてはいけません。いま持っているもので満足しなさい。主ご自身がこう言われるのです。「わたしは決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない。」
神様が必要なものを与えてくださるし、「決してあなたを離れず、また、あなたを捨てない」と言ってくださいます。
貯金がダメ、というのではありません。大事なのは全てが神様のお金であり神様と隣人のためのお金だと忘れないことです。自分のお金、自分の力、自分のモノだと握りしめる人は天の御国に入るのは難しいとイエス様は言われます。
(23-24節)
それから、イエスは弟子たちに言われた。「まことに、あなたがたに告げます。金持ちが天の御国にはいるのはむずかしいことです。まことに、あなたがたにもう一度、告げます。金持ちが神の国にはいるよりは、らくだが針の穴を通るほうがもっとやさしい。」
反対に、イエス様のために地上の全てを手放し委ねる人はもっと豊かに与えられます。
(29節)
また、わたしの名のために、家、兄弟、姉妹、父、母、子、あるいは畑を捨てた者はすべて、その幾倍もを受け、また永遠のいのちを受け継ぎます。
イエス様のために全てを捨てることは、全てを手放し明け渡し、神様の思い通りにすることです。ゴミ箱に捨てることではありません。
神様と人のためにお金も持ち物も人間関係も与える人は豊かに受ける結果になります。ちょうど、畑にタネを多く蒔く人が多く収穫するかのようです。
(2コリント 9:6-7)
私はこう考えます。少しだけ蒔く者は、少しだけ刈り取り、豊かに蒔く者は、豊かに刈り取ります。ひとりひとり、いやいやながらでなく、強いられてでもなく、心で決めたとおりにしなさい。神は喜んで与える人を愛してくださいます。
お金も時間も人間関係も神様に捧げる人は豊かに与えられます。そして、もっともっと神様と人に与える人に成長します。天の国は「くれろ、くれろ」でもなく「集めよ、守れ、頑張れ」でもありません。与え、分け、捧げる世界です。本当の喜びと平安は神様に信頼して全てを手放し分け与える時に満ち溢れます。
(使徒 20:35)
『受けるよりも与えるほうが幸いである。』
今日も与える喜び、捧げる喜び、分け合う喜びが僕らの上に満ち溢れますように。
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