2023年1月30日月曜日

2サムエル13.20-39

 相手を助けることは、相手の罪をそのままにせず、愛と尊敬を持って罪を指摘することです罪を指摘する時に大事なことは、自分も同じ罪人として相手を愛し尊敬することです罪を指摘することは愛することです罪が放置されるとその罪はどんどんその人の中で大きくなり、その人を蝕んでいくからです


ダビデは他人の妻を盗み、姦淫し、その夫を殺しました。その時に神様は預言者ナタンを遣わして罪を指摘してくださいました。そのおかげでダビデは悔い改め「私は主に対して罪を犯した。」と認めることができたし、ナタンも神様の赦しを宣言して「主もまた、あなたの罪を見過ごしてくださった。」と言うことができました。(12.13)


罪を指摘して、その人がそれを認めて立ち直るようにすることは愛そのものですイエス様はおっしゃいます。


(マタイ18:15)

もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです


ダビデの長男アムノンはタマルを強姦しました。ところが、今回は誰もその罪を指摘する人がいません。


(20-22節)

彼女の兄アブシャロムは彼女に言った。「おまえの兄アムノンが、おまえといっしょにいたのか。だが妹よ。今は黙っていなさい。あれはおまえの兄なのだ。あのことで心配しなくてもよい。」それでタマルは、兄アブシャロムの家で、ひとりわびしく暮らしていた。

ダビデ王は、事の一部始終を聞いて激しく怒った。アブシャロムは、アムノンにこのことが良いとも悪いとも何も言わなかった。アブシャロムは、アムノンが妹タマルをはずかしめたことで、彼を憎んでいたからである。


父親ダビデは怒るだけで、犯人アムノンに関わろうとしません。彼はきちんと息子の罪に向き合おうとしませんでした。自分も前科があるので、注意できる身分じゃない、と思ったかもしれません。


聖書は正しい人は一人もいない、と教えています。他人の罪を注意できるような人は誰もいません。僕ら全員はただ、イエス様によって赦された罪人です。自分も罪人だからこそ、愛する仲間の罪を放置しないで悔い改めるように指摘することができません。それは助けることであり愛することです


タマルの兄アブシャロムも憎み続けるだけで、アムノンの罪を注意しようとしません。しかも、アブシャロム心の中で憎しみを繰り返し続け、その憎しみと怒りはどんどん大きくなって行きました。その憎しみは殺意まで成長しました。

怒りと憎しみがあると、注意することができません。アブシャロムは自分の中で憎しみを育て続けました。どんな小さな恨みでも、憎しみでも、それを放置すると知らずに反芻することになり、育ってしまいます。アブシャロムは怒りと殺意を育てたまま、2年間が経ちました。ついに彼はアムノンを殺します。


(23節)

それから満二年たって、アブシャロムがエフライムの近くのバアル・ハツォルで羊の毛の刈り取りの祝いをしたとき、アブシャロムは王の息子たち全部を招くことにした。


(28-29節)

アブシャロムは自分に仕える若い者たちに命じて言った。「よく注意して、アムノンが酔って上きげんになったとき、私が『アムノンを打て。』と言ったら、彼を殺せ。恐れてはならない。この私が命じるのではないか。強くあれ。力ある者となれ。」アブシャロムの若い者たちが、アブシャロムの命じたとおりにアムノンにしたので、王の息子たちはみな立ち上がって、おのおの自分の騾馬に乗って逃げた。


僕らの心をきよめることができるのはイエス様だけですどんな憎しみも恨みもイエス様に報告し、イエス様に変えてくださるように祈って明け渡す時にきよめられます。


(1ヨハネ 1:8-9)

もし、罪はないと言うなら、私たちは自分を欺いており、真理は私たちのうちにありません。もし、私たちが自分の罪を言い表わすなら、神は真実で正しい方ですから、その罪を赦し、すべての悪から私たちをきよめてくださいます。


強姦したアムノンも、何も言わないダビデも、アブシャロムも、誰も神様に報告していません。僕ら人間には心を変えるのも罪をきよめるのも無理ですそんな僕らが放置するなら、罪は成長します。


まずは自分の心にある怒り、憎しみ、悲しみを神様に相談し、報告し、きよめていただくのがステップ1です

次に、自分も前科がある罪人として、罪をしている相手を注意するのが愛です。これがステップ2です


時間が解決するといいますが、放置時間が罪を成長させるときもあります。


ステップ1 自分の憎しみや悲しみを神様に報告です。そして、それをきよめて変えていただく祈りをすることです


ステップ2 罪を犯している相手を、罪人仲間として注意することですそれは助けることだし愛することです


僕らの交わりが、まずは神様との交わりでありますように。そして、本当に相手を助け、愛する交わりでありますように。


(マタイ18:15)

もし、あなたの兄弟が罪を犯したなら、行って、ふたりだけのところで責めなさい。もし聞き入れたら、あなたは兄弟を得たのです

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