2023年1月30日月曜日

マタイ23.23-26

 僕らが神を愛すること、人を愛することをしないで、表面的な礼拝をし、献金をし、奉仕をしているならイエス様はそのことを「忌まわしい」「偽善」「目が見えてない」と言われます。大事なことは、見える形を整えることよりも、まず内側が整えられることです

当時の聖書の先生たちは伝統や作法を守ることばかりに気をとられ、神様がはるかに大事に思っている、あわれみや正義を忘れていました。まるで心の目が閉じて、神様の心がわからなくなっているかのようです


(23節)

忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、はっか、いのんど、クミンなどの十分の一を納めているが、律法の中ではるかに重要なもの、すなわち正義もあわれみも誠実もおろそかにしているのですこれこそしなければならないことです。ただし、他のほうもおろそかにしてはいけません。


見える作法ばかりを大事にして、大事な愛とあわれみを無視することは、まるでワインの中に入った小さな虫に神経をとがらせて取るけども、大きな動物を丸呑みしても気がつかないようだ、と言われます。そのことをイエス様は「目の見えぬ手引きども」とおっしゃいます。


(24節)

目の見えぬ手引きども。あなたがたは、ぶよは、こして除くが、らくだはのみこんでいます。


人にどう見られるかより、神様にどう見られるか、が大切ですズレていく原因は心の内側の高慢や虚栄心を放っておくことです自分の心が今どんな状態か、自分の心を神様に明け渡しているか、高慢や自己中心を放置していないかどうかをチェックする必要があります。


(25-26節)

忌わしいものだ。偽善の律法学者、パリサイ人たち。あなたがたは、杯や皿の外側はきよめるが、その中は強奪と放縦でいっぱいです。目の見えぬパリサイ人たち。まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。


密かな罪、裁き、高ぶり、妬み、悪口、陰口、赦さない心があること認めて神様に告白しましょう。イエス様は必ずそれをきよめてくださいます。告白した罪はきよめられます。(1ヨハネ1.8-9、ヘブル10.17)イエス様は言われます。「まず、杯の内側をきよめなさい。そうすれば、外側もきよくなります。」


僕らの心を神様に調べていただきましょう。モヤモヤして良くわからないなら、神様に聞きましょう。罪はあります。高ぶりは必ずあります。聖霊は罪を教えてくださいます。(ヨハネ16.8)心の目が開かれることは、罪を告白して捨てていくこととセットです


身なりを整えることより、僕らが心を整えるための時間を十分にとりますように。

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