世界は終わることをイエス様は教えてくださっています。それは脅しでなく、僕らが困らないように、希望と平安を持ち続けるためです。
(4-5節)
そこで、イエスは彼らに答えて言われた。「人に惑わされないように気をつけなさい。
わたしの名を名のる者が大ぜい現われ、『私こそキリストだ。』と言って、多くの人を惑わすでしょう。
また、戦争のことや、戦争のうわさを聞くでしょうが、気をつけて、あわてないようにしなさい。これらは必ず起こることです。しかし、終わりが来たのではありません。
イエス様はまず僕らに「気をつけなさい」「だまされないように」「あわてないように」と言ってくださいます。
ニセキリストとか、戦争が起こるけども、大事なことは「あわてない」ことです。イエス様のことばは必ず実現します。しかも、それは「産みの苦しみのはじめ」だとっしゃいます。
(7-8節)
民族は民族に、国は国に敵対して立ち上がり、方々にききんと地震が起こります。しかし、そのようなことはみな、産みの苦しみの初めなのです。
陣痛の先には喜びがあります。そのように、世界の終わりには苦しみがあるけども、それは赤ちゃんが生まれるかのようです。その苦しみは、信じる人が苦しめられ、殺され、憎まれることです。信じる人同士でさえ憎み合うとイエス様は言われます。さらに、不法がはびこり、人々の愛は冷えていくと言われます。
(9-13節)
そのとき、人々は、あなたがたを苦しいめに会わせ、殺します。また、わたしの名のために、あなたがたはすべての国の人々に憎まれます。
また、そのときは、人々が大ぜいつまずき、互いに裏切り、憎み合います。また、にせ預言者が多く起こって、多くの人々を惑わします。
不法がはびこるので、多くの人たちの愛は冷たくなります。しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
イエス様がこの話をしてくださったのは僕らが慌てないで、忍耐して救われるためです。忍耐とは原文で「その下にとどまる」という意味があります。苦しみの下に希望を持ちつつとどまることです。僕らは苦しみからすぐに脱出したがりますが、でも、イエス様の教えはいつも「忍耐しなさい」です。その先に必ず脱出が用意されています。
イエス様を信じているために殺される人さえいます。でも、それでも慌てなくていい、と言われます。教会の中でも混乱が起こり、信じるのをやめる人や、内部同士で訴え合ったり、憎しみあったりすることになるようです。捕まったら、訴えられたらなんて言おうか今から心配しなくても、その時には聖霊が知恵を与えてくださいます。聖霊によってその時には特別な平安が僕らに与えられます。
(ルカ21:14-19)
それで、どう弁明するかは、あらかじめ考えないことに、心を定めておきなさい。どんな反対者も、反論もできず、反証もできないようなことばと知恵を、わたしがあなたがたに与えます。
しかしあなたがたは、両親、兄弟、親族、友人たちにまで裏切られます。中には殺される者もあり、わたしの名のために、みなの者に憎まれます。しかし、あなたがたの髪の毛一筋も失われることはありません。あなたがたは、忍耐によって、自分のいのちを勝ち取ることができます。
終わりの日が近くなるとニセモノが多く登場するのも特徴です。イエス様はそれに「だまされないように」と言われます。
ニセキリストの特徴はまず、人々が「あそこにいる、ここにいる」ということです。
でも、本物は人々の噂や情報によらず、全ての人がハッキリと自分でわかります。それは、誰の目にも明らかに来られます。まるでイナズマのようにはっきりと、です。
(23-27節)
そのとき、『そら、キリストがここにいる。』とか、『そこにいる。』とか言う者があっても、信じてはいけません。
にせキリスト、にせ預言者たちが現われて、できれば選民をも惑わそうとして、大きなしるしや不思議なことをして見せます。
さあ、わたしは、あなたがたに前もって話しました。
だから、たとい、『そら、荒野にいらっしゃる。』と言っても、飛び出して行ってはいけません。『そら、へやにいらっしゃる。』と聞いても、信じてはいけません。
人の子の来るのは、いなずまが東から出て、西にひらめくように、ちょうどそのように来るのです。
もう一つの特徴は、だまそうとして不思議な奇跡を見せることです。本物のキリストが来られる時にはわざわざ奇跡を見せびらかさなくても、人類全部がわかります。
イエス様は「気をつけなさい」「だまされないように」「あわてないように」と言ってくださいます。
苦しみはありますが、その先には、イエス様の完全な支配が来ます。生みの苦しみです。それでも、耐えられるその日数はちょうどよく短くされます。
(21-22節)
そのときには、世の初めから、今に至るまで、いまだかつてなかったような、またこれからもないような、ひどい苦難があるからです。
もし、その日数が少なくされなかったら、ひとりとして救われる者はないでしょう。しかし、選ばれた者のために、その日数は少なくされます。
イエス様が僕らに終わりの日のことを話してくださったのは、僕らが慌てず、希望と平安を持ち続けて忍耐し、救われるためです。
(13節)
しかし、最後まで耐え忍ぶ者は救われます。
僕らは弱いです。でも、聖霊が助けてくださいます。その時には聖霊がこれら全てを思い出させてくださり、忍耐と希望を与えてくださり、力を与えてくださり、僕らは救われます。恐れなくても大丈夫です!
イエス様は言われます。「さあ、わたしは、あなたがたに前もって話しました。」(25節)
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