イエス様はこの世にもう一度来られます。しかも世界中のあらゆる国の人々がはっきりとそれを見ます。その時、イエス様のことばを信じて忍耐してきた人たちが世界中から集められます。
(30-31節)
そのとき、人の子(イエス様のこと)のしるしが天に現われます。すると、地上のあらゆる種族は、悲しみながら、人の子が大能と輝かしい栄光を帯びて天の雲に乗って来るのを見るのです。
人の子は大きなラッパの響きとともに、御使いたちを遣わします。すると御使いたちは、天の果てから果てまで、四方からその選びの民を集めます。
僕らは人間の力で世界の問題は解決でき、世界は良くなると言います。…ですがそれは誤解です。聖書は、この世界は悪が増大して滅びると伝えています。イエス様は「天地は滅びます」とはっきり言われました。(35節)
(35節)
この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。
まるで、ノアの洪水の時に世界中に悪が、暴力が、罪が増大し、神様が洪水によって世界を滅ぼしてしまった時のようです。その時、人々は神様の裁きがすぐそこに来ていることに気がつきませんでした。
(37-41節)
人の子が来るのは、ちょうど、ノアの日のようだからです。洪水前の日々は、ノアが箱舟にはいるその日まで、人々は、飲んだり、食べたり、めとったり、とついだりしていました。そして、洪水が来てすべての物をさらってしまうまで、彼らはわからなかったのです。人の子が来るのも、そのとおりです。そのとき、畑にふたりいると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。ふたりの女が臼をひいていると、ひとりは取られ、ひとりは残されます。
イエス様の願いは、世界が終わりに近づいていることをわきまえて、僕らが「目を覚ましている」ことです。
(42節)
だから、目をさましていなさい。あなたがたは、自分の主がいつ来られるか、知らないからです。
世界は滅んでも、イエス様のことばは滅びません。だから、それを知った僕らはますますイエス様の言葉を聞く必要があります。世界のどんな知恵のある人の意見も通用しません。どんな技術も神様のさばきの前には、世界の終わりには通用しません。イエス様は「この天地は滅び去ります。しかし、わたしのことばは決して滅びることがありません。」とおっしゃいます。僕らがますます集中すべきことは、イエス様のことばに聞き、そして従うことです。
(1テモテ 2:4)
神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。
滅んでいく人間のことばや技術に信頼するのではなく、滅びることのない真理のことばを信頼し従い続けることが、僕がら優先すべきことです。
なぜなら、それ以外のことは全部滅んでいくからです。
神様はずっと僕らを見ておられます。そして、僕らに役目を与えておられます。それはどんな時にも神様を愛し、信頼し、そして人を愛することです。苦しみの中でも、愛が冷える中でも、人々が争い、裏切りあうような時代になってもそうすることです。
誰も見ていない、と思う時こそ僕らの本性がわかります。
(48-51節)
ところが、それが悪いしもべで、『主人はまだまだ帰るまい。』と心の中で思い、その仲間を打ちたたき、酒飲みたちと飲んだり食べたりし始めていると、そのしもべの主人は、思いがけない日の思わぬ時間に帰って来ます。そして、彼をきびしく罰して、その報いを偽善者たちと同じにするに違いありません。しもべはそこで泣いて歯ぎしりするのです。
大事な時は、人が見ていないときです。また、イエス様が見ていないと思う時です。神様の前には全てがさらけ出されています。
今日も、誰も知らないところで神様に忠実で、人に仕え、人を愛する僕らでありますように。誰も見ていないところで忍耐し、希望を持って神様のことばに従う僕らでありますように。
(45-47節)
主人から、その家のしもべたちを任されて、食事時には彼らに食事をきちんと与えるような忠実な思慮深いしもべとは、いったいだれでしょうか。
主人が帰って来たときに、そのようにしているのを見られるしもべは幸いです。まことに、あなたがたに告げます。その主人は彼に自分の全財産を任せるようになります。
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