聖書が繰り返し教えていることは、天国に入る準備をすることです。全ての人は一度死ぬことが定まっています。そして、全ての人が神様の前で目覚め、天国に入れる人と入れない人に分けられると聖書は教えています。イエス様はこのことを次のように言われました。
(1-5節)
そこで、天の御国は、たとえて言えば、それぞれがともしびを持って、花婿を出迎える十人の娘のようです。そのうち五人は愚かで、五人は賢かった。愚かな娘たちは、ともしびは持っていたが、油を用意しておかなかった。賢い娘たちは、自分のともしびといっしょに、入れ物に油を入れて持っていた。花婿が来るのが遅れたので、みな、うとうとして眠り始めた。
天の国はイエス様の国です。そして僕らはそれを迎える娘たちのようです。娘たちの中には準備をしていた5人と準備をしていない5人にがいました。そして、全員がイエス様をお迎えする前に寝てしまいます。
そのように、僕らも準備をしている人としていない人に分かれたまま眠ります。目覚めた時に準備ができてない人は大変です。
(6-13節)
ところが、夜中になって、『そら、花婿だ。迎えに出よ。』と叫ぶ声がした。娘たちは、みな起きて、自分のともしびを整えた。ところが愚かな娘たちは、賢い娘たちに言った。『油を少し私たちに分けてください。私たちのともしびは消えそうです。』しかし、賢い娘たちは答えて言った。『いいえ、あなたがたに分けてあげるにはとうてい足りません。それよりも店に行って、自分のをお買いなさい。』そこで、買いに行くと、その間に花婿が来た。用意のできていた娘たちは、彼といっしょに婚礼の祝宴に行き、戸がしめられた。そのあとで、ほかの娘たちも来て、『ご主人さま、ご主人さま。あけてください。』と言った。しかし、彼は答えて、『確かなところ、私はあなたがたを知りません。』と言った。だから、目をさましていなさい。あなたがたは、その日、その時を知らないからです。
この話では、油を用意していた娘たちだけが祝宴に入ることができました。目覚めてから用意しようとした人たちは間に合いませんでした。準備は眠る前にする必要があります。僕らは全員眠ります。そして、全ての人は神様の前に起こされると聖書は教えています。
入れない人たちは天国のドアを叩きました。眠る前までは、両方とも同じに見えました。でも、準備をしてなかった人たちのともしびは消えます。遅すぎました。聖書によると、準備とはイエス様を信じることです。それだけです。
(ヨハネ6.47)
信じる者は永遠のいのちを持ちます。
この話は脅しではありません。神様は僕ら全員を天国に招きたいと願っておられます。でも、僕らは今のこと、目先のことしか考えないようです。眠る前までは同じようにランプがついていたとしても、目覚めた時には何もなくなっています。
そのように、僕らの生活が目先の仕事、この世のことだけになっているなら目的を間違っています。僕らの目的地は永遠の天の御国で祝福の交わりに入ることです。イエス様はこの話を何とか多くの人たちに伝えようと僕らにこのメッセージを預けてくださっています。
(ヨハネ12.47)
わたしは世をさばくために来たのではなく、世を救うために来たからです。
(1テモテ2:4)
神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。
目的地は天の御国です。この世のものはすべて消え去ります。今日もゴールを見失うことなく準備する日でありますように。
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