イエス様がこの世界に来られたのは僕らの身代わりに「死ぬため」
このことはずっと前から預言されて、
(イザヤ53.6-7)
主は、私たちのすべての咎を彼(イエス様)に負わせた。
彼は痛めつけられた。
彼は苦しんだが、口を開かない。
ほふり場に引かれて行く小羊のように、
イエス様は逮捕され、尋問され、殴られ、唾をかけれました。
それでも口を開かず、黙って忍耐されました。それは、
(59-60節)
さて、祭司長たちと全議会は、イエスを死刑にするために、
(62-63節)
そこで、大祭司は立ち上がってイエスに言った。「
(66-68節)
彼らは答えて、「彼は死刑に当たる。」と言った。そうして、
黙って侮辱を受けてくださるイエス様は目的を持っていました。
(1ヨハネ 4:10)
私たちが神を愛したのではなく、神が私たちを愛し、
罪を犯した人が神様に赦されるためには、「なだめの供え物」
次のように書かれています。
(レビ 4:2-4)
もし人が、
その人は、自分の犯した罪のために、傷のない若い雄牛を、
その雄牛を会見の天幕の入口の所、主の前に連れて来て、
その雄牛の頭の上に手を置き、主の前にその雄牛をほふりなさい。
そのように、イエス様は僕らの罪を背負ういけにえとして、
(イザヤ53.6-7)
主は、私たちのすべての咎を彼(イエス様)に負わせた。
彼は痛めつけられた。
彼は苦しんだが、口を開かない。
ほふり場に引かれて行く小羊のように、
イエス様はこのまま処刑されます。が、
復活し、罪と死を超えて圧倒的な栄光を現されます。
(63-64節)
大祭司はイエスに言った。「私は、生ける神によって、
イエス様がこの世界に来られたのは僕らの身代わりに「死ぬため」
この苦しみによって僕らは赦され、
(ヨハネ 3:17-18)
神が御子を世に遣わされたのは、世をさばくためではなく、
僕らが自分の罪を消すとはできません。
ただイエス様の苦しみによる赦しだけが唯一の道です。
「この方以外には、だれによっても救いはありません。」(
ただ感謝しましょう。
あの苦しみと痛みによって僕らは赦されました。
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