2023年1月11日水曜日

2列王記7章

 この世界は神様のことばで作られ、今日も神様のご計画の中で世界は動いています。神様のことばを信頼する人は祝福されると聖書は繰り返します。(詩篇1.2、84.12など多数)


ところが、僕らは苦しいことがあると神様を嫌い、神様に責任転嫁します。イスラエルに飢饉が起こった時には、王も侍従たちも自分の罪を棚に上げて神を恨みました。「見よ、これは主からのわざわいだ。これ以上、私は何を主に期待しなければならないのか。」(2列王6.33)彼らは神様を信頼せず、神様のことばを語るエリシャを殺そうとしました。


エリシャは明日までに飢饉は終わり、高騰していた食材は元に戻ると預言します。ところが、侍従は神様を信頼せず、そんなことは起こらない、と決めつけます。そもそも彼は聞くつもりもなかったようです


(1-2)

エリシャは言った。「主のことばを聞きなさい。主はこう言われる。『明日の今ごろ、サマリアの門で、上等の小麦粉一セアが一シェケルで、大麦二セアが一シェケルで売られるようになる。』」

しかし、侍従で、王が頼みにしていた者が、神の人に答えて言った。「たとえ主が天に窓を作られたとしても、そんなことがあるだろうか。」


神様が僕ら人間に願っておられることは「信仰」です。つまり、不可能に見えることも神様がおっしゃることを信じることですそしてそれは実現します。聞く耳のある人は聞き、信じます。イエス様は何度も「聞く耳のある者は聞きなさい」とおっしゃいました。一方、聞く耳のない人、聞いても信じなかった人はその恵みや祝福をいただくことができません。


(2)

しかし、侍従で、王が頼みにしていた者が、神の人に答えて言った。「たとえ主が天に窓を作られたとしても、そんなことがあるだろうか。」そこで、エリシャは言った。「確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない。」


神様がおっしゃった通りにイスラエルには食物が与えられました。神様は包囲していたアラム軍に神様は馬のいななきや大軍勢が攻めてくる効果音を聞かせました。その音だけで彼らは怯え、天幕も陣営も放置したまま必死で逃げて行きました。

それを知らずに、飢えていたツァラアト(重い皮膚病)の人4人は、どうせ死ぬならアラム軍のところに行こう、と決めます。そこでアラム軍が食料も宝も置き去りにしていることがわかります


(3-9節)

さて、ツァラアトに冒された四人の人が、町の門の入り口にいた。彼らは互いに言った。「われわれはどうして死ぬまでここに座っていなければならないのか。たとえ町に入ろうと言ったところで、町は食糧難だから、われわれはそこで死ななければならない。ここに座っていても死ぬだけだ。さあ今、アラムの陣営に入り込もう。もし彼らがわれわれを生かしておいてくれるなら、われわれは生き延びられる。もし殺すなら、そのときは死ぬまでのことだ。」こうして、彼らはアラムの陣営に行こうと、夕暮れになって立ち上がり、アラムの陣営の端まで来た。すると、なんと、そこにはだれもいなかった。

これは、主がアラムの陣営に、戦車の響き、馬のいななき、大軍勢の騒ぎを聞かせたので、彼らが口々に「見よ。イスラエルの王が、ヒッタイト人の王たち、エジプトの王たちを雇って、われわれを襲って来る」と言い、

夕暮れに立って逃げ、自分たちの天幕や馬やろば、陣営をそのまま置き去りにして、いのちからがら逃げ去ったからであった。

ツァラアトに冒されたこの人たちは、陣営の端に来て、一つの天幕に入って食べたり飲んだりし、そこから銀や金や衣服を持ち出して隠した。また戻って来てはほかの天幕に入り、そこからも持ち出して隠した。

彼らは互いに言った。「われわれのしていることは正しくない。今日は良い知らせの日なのに、われわれはためらっている。もし明け方まで待っていたら、罰を受けるだろう。さあ、行こう。行って王の家に知らせよう。」


神様のことばは実現します。そして神様の願いはそれを信じることです。信じなかった侍従は祝福を失い、エリシャの預言の通りに食べることはできず、死んでしまいました。


(16-20)

そこで、民は出て行ってアラムの陣営をかすめ奪ったので、主のことばのとおり、上等の小麦粉一セアが一シェケルで、大麦二セアが一シェケルで売られた。

王は例の侍従、頼みにしていた侍従を門の管理に当たらせたが、民が門で彼を踏みつけたので、彼は死んだ。王が神の人のところに下って行ったときに、神の人が告げたことばのとおりであった。(…中略…)

侍従は神の人に答えて、「たとえ主が天に窓を作られるにしても、そんなことがあるだろうか」と言った。そこで、エリシャは「確かに、あなたは自分の目でそれを見るが、それを食べることはできない」と言った。

そのとおりのことが彼に実現した。民が門で彼を踏みつけたので、彼は死んだ。


聖書は神様のみことばが実現することを繰り返しています。不可能に見えても神様は死人を活かしたり、無から有を作ることができる神様ですその神様を信頼することを神様は喜んでくださいます。

望みなく見える時も、神様の言葉を聞きましょう。人には無理でも神様はみことばを実現する方です。試練の中でも、神様の約束は変わりません。神様が願っておられるのは僕らが聞いて信じることです忍耐とは、希望を持って待つことです

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