結婚は「2人が一体になること」です。(エペソ5.31など多数)具体的には ①霊的に一つになること ②肉体的に一つになること ③社会的に一つになること。などが上げられます。もしも、信仰者と偶像礼拝者が一つになった場合、霊的にどちらかに引きずられることになります。信仰を捨てて偶像礼拝をするようになるか、相手が偶像を捨てて主を礼拝するようになるかです。
主だけを愛し、国中から偶像一掃した王様にヨシャファテという王様がいます。素晴らしい王です。ところがその息子ヨラムは偶像礼拝者と結婚したことで引きずられ、国中が一緒に偶像礼拝をするようになります。聖書は彼も国も堕落した理由を「アハブの娘が彼の妻だったから」と説明しています。(18節)
(16-19)
イスラエルの王アハブの子ヨラムの第五年、ヨシャファテがまだユダの王であったとき、ユダの王ヨシャファテの子ヨラムが王として治めるようになった。彼は三十二歳で王となり、エルサレムで八年間、王であった。
彼はアハブの家の者がしたように、イスラエルの王たちの道(偶像礼拝の道)に歩んだ。アハブの娘が彼の妻だったからである。彼は主の目に悪であることを行った。しかし、主はそのしもべダビデに免じて、ユダを滅ぼすことを望まれなかった。主はダビデとその子孫に常にともしびを与えると彼に約束されたからである。
神様は偶像礼拝に堕ちていったヨラムをさばき、彼は内臓の病気になって悲惨な死に方をします。(1歴代21章)この悲惨な結末を見たはずのヨラムの息子アハズヤもまた偶像礼拝者アハブの家族と結婚するによって堕落します。聖書は堕落の理由を「彼自身、アハブ家の婿だったから」と書いています。(27節)
(25-27節)
イスラエルの王アハブの子ヨラムの第十二年に、ユダの王ヨラムの子アハズヤが王となった。
アハズヤは二十二歳で王となり、エルサレムで一年間、王であった。彼の母の名はアタルヤといい、イスラエルの王オムリの孫娘であった。
彼はアハブの家の道に歩み、アハブの家に倣って主の目の前に悪であることを行った。彼自身、アハブ家の婿だったからである。
結婚相手は人生に最大の影響を与える人です。人類最初の夫婦では、女性が先に蛇にそそのかされて罪を犯し、夫にも食べるように誘惑しまして一緒に堕落しました。結婚は罪を共有する一体性があります。聖書は偶像礼拝者と一体にならないように、と教えています。
(2コリント 6:14-16)
不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。キリストとベリアルとに、何の調和があるでしょう。信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。
全ての人と平和を保ち、全ての隣人を愛しなさい、と聖書は教えています。(ヘブル12.14、ローマ12.18、ルカ10.27など多数)ヨシャファテが偶像礼拝者である隣人アハブ王と友好的な関係を持つのは良いことでした。しかし、子どもを結婚させることは一線を超えていたし、それによって王も国も堕落したと聖書は僕らに伝えています。
僕らは人間的な優しさや感情で判断します。でも、神様は聖書を通して天から祝福の道を教えてくださっています。親しくなることや困っている人を助けることは素晴らしいことです。しかし、一線を超えて一体になろうとし、霊的な悪影響を受けて神様の聖さを失っていくのは間違っています。僕らにはいつも聖霊によって聖書によってその一線を見分ける力が与えられています。
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