昔、自動車学校に通った時、車のすぐ先を見て恐る恐る運転していたら、なかなか車が安定しませんでした。そんな時に教官が言いました。「目線が近すぎる。もっと向こうを見る感じで。」言われた通りに遠くを見て運転すると、車体は安定しました。
同じように、僕らが目先の苦しみを見るならば人生は暗く安定しません。聖書はイエス様が与えてくださる将来を見るために僕らに希望を伝えています。
イエス様はもう一度この世界に来られエルサレムで世界を治めると預言されています。その時に、信じる人たちの苦しみは忘れられます。
イエス様が王としてこの来られる時、苦しめる敵、搾取されたこと、傷つけられ奪われたことはすべて過去のものとなります。
(17-19節)
7,あなたの目は麗しい王を見、遠くまで広がる国を眺める。
18,あなたの心は、恐ろしかったことを思い巡らす。「数えた者はどこにいるのか。量った者はどこにいるのか。やぐらを数えた者はどこにいるのか。」(自分たちを虐殺し奪うため搾取するために数えた敵、量った敵はもういない、の意味です)
19,あなたはもう横柄な民を見ない。難しくて聞き取れない外国語を、口ごもって、わけの分からないことばを話す民を。
イエス様が来られる世界は安らかな世界です。そして決して壊されることのないエルサレムです。
(20-21節)
私たちの祝祭の都、シオンを見よ。あなたの目は、安らかな住まい、移ることのない天幕、エルサレムを見る。その杭はとこしえに抜かれず、その綱は一本も切られない。
しかも、そこには威厳ある主が私たちとともにいてくださる。そこには多くの川があり、幅の広い川がある。櫂で漕ぐ舟もそこを通わず、大船もそこを通らない。
そこにはイエス様もとから流れ出る川があり、その川は多くの生き物を生かす川です。また、この川は多くの果樹を実らせることが預言されています。
(エゼキエル 47:9)
この川が流れて行く所はどこででも、そこに群がるあらゆる生物は生き、非常に多くの魚がいるようになる。
この水がはいると、そこの水が良くなるからである。
この川がはいる所では、すべてのものが生きる。
(エゼキエル 47:12)
川のほとり、その両岸には、あらゆる果樹が生長し、その葉も枯れず、実も絶えることがなく、毎月、新しい実をつける。
その水が聖所から流れ出ているからである。
その実は食物となり、その葉は薬となる。
世界はこのようにイエス様がリアルにご支配なさいます。それは完璧な世界です。病気も罪も取り除かれていく世界です。
(22-24節)
まことに、主は私たちをさばく方、主は私たちに法を定める方、主は私たちの王、この方が私たちを救われる。(…中略…)そこに住む者は「私は病気だ」とは言わず、そこに住む民の咎は除かれる。
僕らの身の回りの事件や災害や出来事を見ているといつも僕らの心は暗くなります。けれども、神様が僕らに見るように言っておられるのは将来の希望です。人は心の目で何を見ているかで人生の明かるさが決まります。
(マタイ6:22-23)
からだのあかりは目です。それで、もしあなたの目が健全なら、あなたの全身が明るいが、もし、目が悪ければ、あなたの全身が暗いでしょう。
イエス様が完璧にご支配なさる世界は来ます。
身の回りのニュースを見、自分をみるとがっかりします。でも、僕らが見上げるべきはイエス様の完璧な世界が来ることです。
(5-6節)
主はいと高き方で、高い所に住み、シオンを公正と義で満たされる。
主はあなたの時を堅く支え、救いと知恵と知識の富となられる。主を恐れることは、その財宝である。
今日も僕らが聖書によって希望と確信を持って試練を超えていけますように。目線が将来の希望にありますように。
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