聖書は愛の書とか、救いの書と言われるけど、前提として神の怒りと裁きがあります。救いは神様の怒りと裁きからの救いです。聖書は怒りと裁きがあること、そして救いがあることをはっきりと知らせてくださっています。
神様を裏切るイスラエルに対して怒りは激しく、預言者エレミヤには彼らが滅ぼされる映像も音も聞こえるようです。そして、彼自身も緊張し恐れて次のように言っています。
(19-21)
私のはらわた、私のはらわたよ、私は悶える。私の心臓の壁よ、私の心は高鳴り、私は黙っていられない。私のたましいが、角笛の音と戦いの雄叫びを聞いたからだ。破滅に次ぐ破滅が知らされる。まことに、地のすべてが荒らされる。突然、私の天幕が、一瞬のうちに私の幕屋が荒らされる。いつまで私は旗を見て、角笛の音を聞かなければならないのか。
神の裁きと怒りは国を滅ぼすだけでなく、宇宙さえ滅んで行くかのようです。エレミヤが見た地には何もなく、天は光も失っていました。山も丘も全てが変わってしまい、人も鳥も消え、町も消えています。全てがなくなっている様子です。
(23-26)
私が地を見ると、見よ、茫漠として何もなく、天を見ると、その光はなかった。私が山々を見ると、見よ、それは揺れ動き、すべての丘は震えていた。
私が見ると、見よ、人の姿はなく、空の鳥もみな飛び去っていた。
私が見ると、見よ、豊かな地は荒野となり、町々は主の前で、その燃える怒りによって打ち壊されていた。
このエレミヤの預言は新約聖書に預言されている世界の終わりに起こることとすごく似ています。
(2ペテロ3:10-11)
しかし、主の日は、盗人のようにやって来ます。その日には、天は大きな響きをたてて消えうせ、天の万象は焼けてくずれ去り、地と地のいろいろなわざは焼き尽くされます。このように、これらのものはみな、くずれ落ちるものだとすれば、あなたがたは、どれほど聖い生き方をする敬虔な人でなければならないことでしょう。
聖書は天地の全てが崩れ去る日が来ると言います。そうなる前に神様が願っていることは「ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むこと」です。(2ペテロ3:9)今も神様は怒りを啓示して、僕らに悔い改めて救われるように言っておられます。
エルサレムはバビロンに占領されて滅ぼされ、人々は恐れて逃げ惑いますが、殺されようとするときに、土壇場で売春婦のような誘惑で敵をななだめようする女性たちもいることが預言されています。
(29-30)
騎兵と射手の雄叫びに、町中の人は逃げ去り、草むらに入り、岩によじ登った。すべての町が捨てられ、そこに住む人はいない。
踏みにじられた女よ、あなたはいったい何をしているのか。緋の衣をまとい、金の飾りで身を飾りたて、目を塗って大きく見せたりして。美しく見せても無駄だ。恋人たちはあなたを嫌い、あなたのいのちを取ろうとしている。
エルサレムの人々を愛し、愛する妻と呼んでくださったのは神様です。そして妻が夫を裏切るように神様を裏切ってきたのがエルサレムの人々です。彼らは最後まで性欲を利用して救われようとします。神様ではなくエジプトやアッシリヤに身売りして助けを求めたのかもしれないです。どちらにしてもそれは「無駄だ。恋人たちはあなたを嫌い、あなたのいのちを取ろうとしている。」とあります。最後はあえぎ苦しんで殺されます。
(31)
まことに、私は、産みの苦しみにある女のような声、初子を産む女のようなうめき、娘シオンの声を聞いた。彼女はあえぎ、手を伸ばして言う。「ああ、私は殺す者たちの前で疲れ果てた。」
この預言は事実となりました。そして、これは僕らへの警告でもあります。救われる方法はただ一つ、イエス様が身代わりに十字架で神の怒りを受けてくださることでした。イエス様によって僕らは救われます。イエス様を信じることは、神の怒りを受けなければならない罪があることを認めて謝り、神様に戻ることです。これを神様は願っておられます。
(2ペテロ3:9)
(主は)ひとりでも滅びることを望まず、すべての人が悔い改めに進むことを望んでおられるのです。
この世界は滅びます。僕らは神の怒りと滅びから救われた罪人です。
いい人だったからではありません。イエス様のメッセージを信じて悔い改めたからです。この救いのメッセージが世界中に届きますように。僕らは神の怒りからの救いを世界中に届ける役目を与えられています。
(ルカ24:47-48)
その名(イエス様の名)によって、罪の赦しを得させる悔い改めが、エルサレムから始まってあらゆる国の人々に宣べ伝えられる。あなたがたは、これらのことの証人です。
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