神様を軽んじると、神様が造り愛している人間のことも軽く見るようになります。人を軽く見ると自分のために人を利用し、儲けるためなら彼らがどうなっても気にならなくなります。この当時のエルサレムの人々は他人の苦しみに対して無感覚になっていたようです。
(21-22)
さあ、これを聞け。愚かで思慮のない民よ。彼らは目があっても見ることがなく、耳があっても聞くことがない。
あなたがたは、わたしを恐れないのか。──主のことば──わたしの前で震えないのか。
彼らは人をだまして儲けるようになり、搾取されている貧しい人たちを放置します。
(26-28)
彼らは野鳥を捕る者のように待ち伏せし、罠を仕掛けて人々を捕らえる。
鳥でいっぱいの鳥かごのように、彼らの家は欺きで満ちている。だから、彼らは大いなる者となり、富む者となる。
彼らは肥えてつややかになり、悪事において限りがない。孤児のために正しいさばきをして幸いを見させることをせず、貧しい人々の権利を擁護しない。
さらに、なんと預言者たちや祭司たちも人から搾取して富むことや人の快楽を推奨し、人々は先生たちがそれを薦めていることを喜びます。これは末期症状です。
(29-31)
これらに対して、わたしが罰しないだろうか。──主のことば──このような国に、わたしが復讐しないだろうか。
荒廃とおぞましいことが、この地に起こっている。
預言者は偽りの預言をし、祭司は自分勝手に治め、わたしの民はそれを愛している。
神様を忘れて人の都合が中心になっていくことは今も昔も変わらない人間の罪です。この世の終わりにもそのようになると聖書は言います。
(2テモテ3.2-5)
そのときに人々は、自分を愛する者、金を愛する者、大言壮語する者、不遜な者、神をけがす者、両親に従わない者、感謝することを知らない者、汚れた者になり、情け知らずの者、和解しない者、そしる者、節制のない者、粗暴な者、善を好まない者になり、裏切る者、向こう見ずな者、慢心する者、神よりも快楽を愛する者になり、見えるところは敬虔であっても、その実を否定する者になるからです。こういう人々を避けなさい。
人の目には軽いことであっても神様の目には「荒廃とおぞましいこと」です。(30)僕らが今日も神様を恐れ敬い、神様が造り愛しておられる隣人を尊重しますように。
(ローマ13:10)
愛は隣人に対して害を与えません。それゆえ、愛は律法を全うします。
(コロサイ3:23)
何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。
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