2023年1月5日木曜日

エレミヤ4.1-18

 神様がいるならどうして生きるのが苦しくて、病気になり、老い、死ぬのか、と思うのは昔から人間の問いでした。その問いに聖書は明確に答えます。人が苦しみ、世界が苦しみ、滅んで行くのは人が神様を裏切り罪を犯したからです


最初の人アダムは神様を裏切り、その結果苦しんで死ぬようになりました。(創世記3.17-19)その子孫である僕らも全員、生まれながらにして神様を裏切り、その結果苦しんで死ぬ人間となりました。(ローマ5.12)「いのち」そのものである神様から離れたら、まるで切り花のように今日はキレイに生きているように見えても日に日に死に向かっています。


(創世 3:17-19 

「あなたが、妻の声に聞き従い、食べてはわたしが命じておいた木から食べたので、土地は、あなたのゆえにのろわれてしまった。あなたは、一生、苦しんで食を得なければならない。(…中略…)あなたは、顔に汗を流して糧を得、ついに、あなたは土に帰る。


(ローマ 5:12

そういうわけで、ちょうどひとりの人によって罪が世界にはいり、罪によって死がはいり、こうして死が全人類に広がったのと同様に、——それというのも全人類が罪を犯したからです


死に向かって行く人類に神様はもう一度「いのち」を与えようとしてくださいました。神様が最初にいのちと祝福を与えてくださったのはイスラエルですイスラエルはまるで神様が選んだ妻のように聖書に書かれていますところがイスラエルはまるで夫を裏切る妻のように神様を裏切り続けます。神様とイスラエルは愛の契約を結んでいました。裏切られた神様が怒りねたむのは当然です。(エレミヤ3章)それでも、神様はもうちど「わたしのもとに帰れ」と呼び続けてくださいます。


(1-2)

「イスラエルよ、もし帰るのなら、──主のことば──わたしのもとに帰れ。もし、あなたが忌まわしいものをわたしの前から取り除き、迷い出ないなら、また、あなたが真実と公正と義によって『主は生きておられる』と誓うなら、国々は主によって互いに祝福し合い、互いに主を誇りとする。」


イスラエルが拝み続ける偶像は「忌まわしいもの」ですそれらにひれ伏し従うことは神様の怒りを引き起こします。北からの敵軍に攻撃され滅ぼされることは、単なる戦争ではなく神様の怒りとさばきです


(5-8)

「ユダに告げ、エルサレムに聞かせて言え。国中に角笛を吹け。大声で叫べ。『集まれ。城壁のある町に逃れよう』と。

シオンに向けて旗を掲げよ。自分の身を守れ。立ち止まるな。わたしが北からわざわいを、大いなる破滅をもたらすからだ。

7,獅子はその茂みから立ち上がり、国々を滅ぼす者はその国から出て来る。あなたの地を荒れ果てさせるために。あなたの町々は滅び、住む者はいなくなる。」このことのために、粗布をまとって悲しみ嘆け。主の燃える怒りが、私たちから去らないからだ。


この時代も今も、神様がいるならなぜ戦争があるのか、苦しまなければならないのか、と僕らは問います。その答えは僕らが悪をし、神様を裏切っているからです。「あなたの生き方と、あなたの行いが、あなたの身にこれを招いたのだ。」と聖書は言います。(18)


(14-18)

「エルサレムよ。救われるために、悪から心を洗いきよめよ。いつまで、自分のうちによこしまな思いを宿らせているのか。ああ、ダンから告げる声がある。エフライムの山からわざわいを告げ知らせている。

国々に語り告げよ。さあ、エルサレムに告げ知らせよ。包囲する者たちが遠くの地から来て、ユダの町々に対して、ときの声をあげる。

彼らは畑の番人のように、ユダを取り囲む。それは、ユダがわたしに逆らったからだ。──主のことば──

あなたの生き方と、あなたの行いが、あなたの身にこれを招いたのだ。これはあなたへのわざわいで、なんと苦いことか。もう、あなたの心臓にまで達している。」


僕らは今日もなぜこんなことが起こるのか、と問い、あいつが悪い、こいつが悪い、神が悪い、と言います。そんな僕らに罪を認め悔い改めなさい、と聖書は言います。イエス様も「私たちの罪をお赦しください。」と祈るように言われました。(ルカ11.4)「私たちの罪」です。みんなの罪です。聖書はいつも連帯責任を教えます。先輩たちの罪は僕らの罪です。家族の罪は家族全体の責任ですそして、イエス様は僕らの罪を自分の罪のようにして十字架でその罰を受けてくださいました。


今日も一緒に謝りましょう。罪を認めて、神様に謝って戻りましょう。イエス様の十字架の処刑によって赦され、義と認められ、いのちが回復します。


(ローマ 5:18

ちょうど一つの違反によってすべての人が罪に定められたのと同様に、一つの義の行為によってすべての人が義と認められて、いのちを与えられるのです


僕らは呪われ苦しむために造られたのでなく、良い行いをし、神様に喜ばれ、愛され、愛するために造られました。毎日生ゴミが出るように、毎日罪は出てしまいます。そして、日々悔い改めることは、死からいのちへ、闇から光への歩みです神様は僕らにいのちと祝福を用意してくださっています。ハレルヤ!


(エペソ 2:10

私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです

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