2023年1月9日月曜日

創世記5章

 創世記5章

聖書は何度も人間が神様の「似姿」として作られたといいます。そしてその次に必ず書かれているのが、「男と女に」作られたことです。



(1-2)

これはアダムの歴史の記録である。神は、人を創造したとき、神の似姿として人を造り、

男と女に彼らを創造された。彼らが創造された日に、神は彼らを祝福して、彼らの名を「人」と呼ばれた。



人が神様に似ているところは、ひとりぼっちで気ままに生きることではなく、男と女が愛し合い、相談し、二人三脚で歩むところです。(創世記126-27、2.18、2.21-25など)一方で、結婚は絶対ではなく、終末の時代には独身でいられるならそれが良いとも言っています。(1コリント7.6、7.25-27、7.32-35など)


人間が神様を愛し従う関係は、人間同士が互いに愛し合い従い合うようことに現れます。(エペソ5.22-32)なので結婚や友人関係よりも大事なことは、まずは「自分が」神様を愛し従い、神様と共に歩むことです。これなしに結婚したり人と歩むことは重荷や苦しみでしかありません。もともと自己中心で、自分なりの善悪判断をそれぞれ持っている僕らが他人と二人三脚をさせられることは苦痛であり痛みです。でも、本来の人間はそうではありません。自分の善悪判断ではなく、神様のことばを喜び、神様と共に歩み、まるで神様との二人三脚のように、くびきをつけて歩むように造られています。くびき(2匹の動物を同じ方向、同じスピードで歩ませる枷のような道具)は不自由に見えますが、神様と繋がるくびきには平安があります。マタイ11:29-30神様に聞き従うことは縛りではなく愛と喜びと自由です。


善悪の知識の木の実を食べ、自分が正しい善悪を持っていると思い込んだ時から人間は不自由になり、互いに裁き合い、傷つけ合い、死ぬようになりました。(創世記2.17、3.6-19)自分の善悪判断を神のことばより上に持っていることが「罪」です。罪の結果は死です。


創世記5章にはアダムからノアの系図が書かれています。その一人一人に「こうして彼は死んだ」と書かれています。全員罪を持っているために死にました。死は罪の結果です。…ですが、その中で1人だけ死ななかった人が書かれています。「エノク」という人です。



(21-24)

エノクは六十五年生きて、メトシェラを生んだ。エノクはメトシェラを生んでから三百年、神とともに歩み、息子たち、娘たちを生んだ。エノクの全生涯は三百六十五年であった。エノクは神とともに歩んだ。神が彼を取られたので、彼はいなくなった。



エノクだけはくりかえし「神とともに歩み」と書かれ知恵ます。彼は神様に信頼し、一つ一つのことを神様に相談しながら歩んでいたことがわかります。神様もエノクを喜んでいた事がわかります。新約聖書は次のように解説しています。



(ヘブル11:5-6

信仰によって、エノクは死を見ることのないように移されました。神に移されて、見えなくなりました。移される前に、彼は神に喜ばれていることが、あかしされていました。信仰がなくては、神に喜ばれることはできません。神に近づく者は、神がおられることと、神を求める者には報いてくださる方であることとを、信じなければならないのです。


エノクは神様を信頼していました。そして彼の人生には自由と喜びがありました。一つ一つの選択を、彼は信頼する神様に相談しながら、従いながら喜んで生きていたことがわかります。これは彼だけでなく僕らも同じように招かれています。自分の善悪判断で苦しむのではなく、神様に信頼して一歩一歩聞き、従うことです。神様と共に歩むことは、自分の善悪判断を捨てることです。自分を捨てることは御霊に満たされることです。御霊は僕らに真理と喜びと自由を与えてくださいます。神様から出ていない判断はみんな罪(的外れ)です。(ローマ14.23)今日も二人三脚のように、一つ一つのことを相談しながら、聞き、従いながら歩みましょう。ズレてしまった僕らですが、神様を愛し聞き従うことで回復の途中にいます。今後、ますます本来の似姿に戻って行きます。聞き、従うなら大丈夫です


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