2023年2月20日月曜日

マルコの福音書11.1-11

 イエス様は王様の入場として、旧約聖書の預言の通りに、ロバの子に乗ってエルサレムに入場されます。まず、弟子たちにろばの子を用意するように言われます。


1 さて、彼らがエルサレムの近くに来て、オリーブ山のふもとのベテパゲとベタニヤに近づいたとき、イエスはふたりの弟子を使いに出して、

2 言われた。「向こうの村へ行きなさい。村にはいるとすぐ、まだだれも乗ったことのない、ろばの子が、つないであるのに気がつくでしょう。それをほどいて、引いて来なさい。

3 もし、『なぜそんなことをするのか。』と言う人があったら、『主がお入用なのです。すぐに、またここに送り返されます。』と言いなさい。」


イエス様が言われたことばはその通りになります。弟子たちはイエス様のことばを信じてろばの子を調達します。すべてはイエス様の言われた通りになりました。


4 そこで、出かけて見ると、表通りにある家の戸口に、ろばの子が一匹つないであったので、それをほどいた。

5 すると、そこに立っていた何人かが言った。「ろばの子をほどいたりして、どうするのですか。」

6 弟子たちが、イエスの言われたとおりを話すと、彼らは許してくれた。


王様の入場なら普通は立派な軍馬か馬車に乗って、しかも大勢の兵士を従えて入場するのが王様です。しかし、イエス様は荷物を運ぶ小さなろばに乗って、しかも、頼りない弟子たちを従えて、ですこれはイエス様が上から目線ではなく、人と同じ目線、いやむしろ人より低く仕える王様であることを現しています。大統領の就任式に専用車でなはく、軽トラか、チャリンコに乗っているようなものですイエス様は言われました。「人の子(イエス様)が来たのも、仕えられるためではなく、かえって仕えるためであり、また、多くの人のための、贖いの代価として、自分のいのちを与えるためなのです。」(マルコ10.45)また、この姿は旧約聖書の預言の通りでした。


(旧約聖書 ゼカリヤ 9:9) 

エルサレムの娘よ。喜び叫べ。見よ。あなたの王があなたのところに来られる。この方は正しい方で、救いを賜わり、柔和で、ろばに乗られる。それも、雌ろばの子の子ろばに。


イエス様は全ての所有者なのに、地上では財産を持つことがありませんでした。生まれた時は人から借りた飼い葉桶が彼のベッドでした。エルサレムに入場する時も人から借りた子ろばです全ての富と力を持っている神は、何も持たない貧しい側になってくださいました。このろばも、終わったら持ち主に返します。イエス様は所有者にこう言いなさい、と言われました。『主がお入用なのです。すぐに、またここに送り返されます。』(3節)


イエス様は世界を作り世界の富もモノも人もイエス様の所有者です。しかし、まるで人間から「すみませんが、ちょっとお借りします」といわんばかりの謙遜さです僕らの持ち物は本当は全部イエス様のものですだのにイエス様は「よこせ」と威張ることはありません。イエス様は僕らに預けている財産や力をお使いになります。『主がお入用なのです。』という時に、僕らのもの、と言わず「いやいやながらでなく、強いられてでもなく」使っていただきましょう。最初の弟子たちも、いつも自分のものは神様のもの、みんなのもの、と思っていました。


(新約聖書 使徒 4:32)

信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。


今日も「主がお入り用なのですという物や時間やお金や能力があるかもしれません。ケチケチせずに使っていただきましょう。ちなみに、このろばの子、はじめて人を乗せた相手がイエス様でした。「まだだれも乗ったことのない、ろばの子」です。(2節)聖書はまず最初に神様のために使うことを良いこととして教えています。


(出エジプト 23:19) 

あなたの土地の初穂の最上のものを、あなたの神、主の家に持って来なければならない。


お給料をもらったらまずイエス様のために、とか、新しい携帯を買ったら初回はイエス様のため、車を買ったらまず神様のために使うというのはすごく聖書的ですもちろん神様は「よこせ、」という方ではありません。逆に恵みを沢山与えてくださっています。でも、言われます。『主がお入用なのです。』どんなに小さく弱いことでも、神様に差し出すならそれを用いてくださいます。

弟子たちは立派な鞍ではなく、自分らの上着をろばの子にかけ、イエス様はその上に座りました。人々は立派な赤いじゅうたんではなく、道に自分の上着を敷き、イエス様を乗せたロバはその上を歩きました。


7 そこで、ろばの子をイエスのところへ引いて行って、自分たちの上着をその上に掛けた。イエスはそれに乗られた。

8 すると、多くの人が、自分たちの上着を道に敷き、またほかの人々は、木の葉を枝ごと野原から切って来て、道に敷いた


この世の王様と比べれば安っぽく、小さな入場です。でも、人々は自分の持ち物を喜んでささげ、イエス様もそれを喜んで用いてくださいます。イエス様が求めておられるのはベテランではありません。このロバは人を乗せたことがありませんでした。人々は王様のための敷物がなく、自分の服をロバにかけ、服を道に敷くような人たちでした。大事なことはあれができるとか、これができる、ではなく、「こんな小さなものですが使ってください」と祈って差し出すことです小さなささげものを主は喜んで用いてくださいます。

今日、「主がお入り用なのです」と言われているものは何か、祈って教えてもらいましょう。神様がそれを喜んでくださいます。

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