聖書によるとイスラエルは「主の民」です。王様のものでも民のものでもありません。そして、神様はイスラエルをひとみのように大切にし、愛する妻のように、愛する子どものように、ご自分の宝としてくださっていることがわかります。それと同じように、教会のことを神様は大切な存在、宝、愛する妻、ご自分の体と表現します。
なので、イスラエルを攻撃したり、教会を攻撃することはほとんど神様に対して攻撃しているのと同じです。
アマレク人はイスラエルを攻撃し続けた民です。そして、神様はアマレクを赦さず滅ぼし尽くすことが何度も預言されています。
(出エジプト17.14)
わたし(神様)はアマレクの記憶を天の下から完全に消し去る。
(申命25:19)
あなた(イスラエル)はアマレクの記憶を天の下から消し去らなければならない。
神様は預言された通りにイスラエルの王サウルにアマレクを滅ぼし尽くすように命令しました。
(1-3)
1サムエルはサウルに言った。「主は私を遣わして、あなたに油を注ぎ、主の民イスラエルの王とされた。今、主の言われることを聞きなさい。2万軍の主はこう言われる。『わたしは、イスラエルがエジプトから上って来る途中で、アマレクがイスラエルに対して行ったことを覚えている。3今、行ってアマレクを討ち、そのすべてのものを聖絶しなさい。容赦してはならない。男も女も、幼子も乳飲み子も、牛も羊も、らくだもろばも殺しなさい。』」
「全てを殺し尽くす」ことは神様だけが持っている権威です。人間にはさばくことも殺すことも許可されていません。「復讐はわたし(神様)がする」と何度も書かれています。このような恐ろしく聖なる権威は神様のものです。そして神様はこの大きすぎる役目をサウル王に預けました。…ですが、サウル王も兵士たちもこの神様の聖なる使命を理解せず、自分の損得、自分の手柄に変えてしまいました。
(9-10節)
9サウルとその兵たちは、アガグと、肥えた羊や牛の最も良いもの、子羊とすべての最も良いものを惜しんで、これらを聖絶しようとしなかった。ただ、つまらない値打ちのないものだけを聖絶したのである。
サウル王はこの戦いを神様のものとせず、自分の手柄にして「自分のための記念碑」を立てました。
(12節)
サウルはカルメルに来て、もう自分のために記念碑を立てました。
神様だけが持っている栄光と権威をまるで自分の栄光と権威のように横取りし、自慢し、思い通りにしたいのが僕らの愚かさです。
それでもサウル本人は「私は主のことばを守りました」と思っています。
(13-15節)
13サムエルはサウルのところに来た。サウルは彼に言った。「あなたが主に祝福されますように。私は主のことばを守りました。」14サムエルは言った。「では、私の耳に入るこの羊の声、私に聞こえる牛の声は、いったい何ですか。」15サウルは答えた。「アマレク人のところから連れて来ました。兵たちは、あなたの神、主に、いけにえを献げるために、羊と牛の最も良いものを惜しんだのです。しかし、残りの物は聖絶しました。」
(20-21節)
20サウルはサムエルに答えた。「私は、主の御声に聞き従い、主が私に授けられた使命の道を進みました。私はアマレク人の王アガグを連れて来て、アマレク人たちは聖絶しました。21兵たちは、ギルガルであなたの神、主にいけにえを献げるために、聖絶の物の中の最上のものとして、分捕り物の中から羊と牛を取ったのです。」
神様の言葉をそのまま受けず、自分の都合で足したり引いたりして、「これでよし」と思いたいのが僕らの姿でもあります。神様が願っている人は神様の栄光だけを求め、神様のことばの通りにする人です。神様に従わないサウルを王にしたことを神様は「悔やむ」とおっしゃいました。
(10-11節)
10主のことばがサムエルに臨んだ。11「わたしはサウルを王に任じたことを悔やむ。彼はわたしに背を向け、わたしのことばを守らなかったからだ。」それでサムエルは怒り、夜通し主に向かって叫んだ。
自覚がないかもしれませんが、クリスチャンは全員神様に選ばれた王様であり祭司です。(1ペテロ2.9)そして、今後、従わない人を滅ぼし尽くすことは「御使い」がすると書かれていて、聖絶せよ、という命令は人間にはありません。(マタイ13.40-41など多数)それでも僕らは神様からは大きな役目を預けてもらっています。王として祭司として神様の言葉にしたがって誠実に神様と隣人を愛し仕えることです。自分では小さいと思っていても、役目は大きいです。神様からの使命は聖なるものです。僕らが勝手にそれを薄めたり、小さくしたり、誤解したりしませんように
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