僕らの世界は上手に仮面をかぶって人と付き合います。仮面をつけるのは、裏切られたり、キズつけられたりしたくないからです。ダビデとヨナタンは親友でした。彼らの間には仮面はなく真実がありました。それほどまでに真実な交わりができるのは2人とも神様を信頼していたからです。ダビデはサウルから逃げてヨナタンのところに言います。そして自分は殺されそうになっている、と訴えます。
(1-3節)
1ダビデはラマのナヨテから逃げて、ヨナタンのもとに来て言った。「私があなたの父上の前に何をし、私にどんな咎があり、どんな罪があるというのですか。父上が私のいのちを求めておられるとは。」(…中略…)
3ダビデはなおも誓って言った。「(…中略…)主は生きておられます。あなたのたましいも生きておられます。私と死の間には、ほんの一歩の隔たりしかありません。」
ダビデは自分が殺されそうになっていることを全部正直に話しました。そしてヨナタンもダビデのために「何でもする」と約束します。ヨナタンはダビデのことを「ヨナタンは、自分を愛するほどにダビデを愛していた」(17節)と書かれています。
(4節)
4ヨナタンはダビデに言った。「あなたの言われることは、何でもあなたのためにします。」
ヨナタンは父サウルが本気でダビデを殺そうとしているのかどうかを調べてダビデに伝えることを約束し、もし父サウルがダビデを殺そうとしているのなら、ダビデを逃す約束をしました。
(13節)
もし父が、あなたに害を加えようと思っているのに、それをあなたの耳に入れず、あなたを無事に逃がさなかったなら、主がこのヨナタンを幾重にも罰せられますように。主が父とともにおられたように、あなたとともにおられますように。
もし、ヨナタンが約束を破ってダビデに何も知らせないなら、ダビデは殺されます。2人の間には真実さ、誠実さが必要でした。彼らが互いに信頼できたのは、神様が2人の間にいたからです。彼らは何度も「主は生きておられます」と言います。僕ら人間は嘘をついたり、ごまかしたりして約束を破りがちです。人間だけでは真実な関係は作れません。でも、2人の間には神様がいました。彼ら神様の前で約束します。
(16-17節)
16ヨナタンはダビデの家と契約を結んだ。「主がダビデの敵に血の責めを問われますように。」17ヨナタンは、ダビデに対する愛のゆえに、もう一度ダビデに誓わせた。ヨナタンは、自分を愛するほどにダビデを愛していたからである。
(23節)
23私とあなたが交わしたことばについては、主が私とあなたの間の永遠の証人です。」
僕ら弱い人間が互いに信頼し合えるのは、2人が神様を信頼している時です。人間だけなら、互いに欠点を見てしまったり不満が出てくるとすぐに関係が壊れてしまいます。でも、僕らがイエス様に愛され赦されていることを感謝しているなら、互いの欠点や罪も赦し合うことができます。これが、イエス様を中心とした、壊れることのない信頼関係です。この後ヨナタンは自分のいのちをかけてダビデを守り逃します。僕らの家族関係や友人関係が真実なものか、それともうわべだけか、それは僕らの神様への態度そのものです。聖書は誰に対しても人に対してでなく、神様にするようにしなさい、と言います。
(コロサイ 3:22-23)
人のごきげんとりのような、うわべだけの仕え方ではなく、主を恐れかしこみつつ、真心から従いなさい。何をするにも、人に対してではなく、主に対してするように、心からしなさい。
今日も僕らと一緒に神様がいてくださいますように。どんな人に対してもうわべだけの親切でなく、神様に対する真実さがありますように。聖霊様は今日も僕らの中に住んでくださっています。僕らの態度が内側におられる神様のご性格の現れとされますように。主がそうしてくださいます!
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