神様がおっしゃったことは絶対に実現します。ところが、僕ら人間は神様の言葉よりも周りの現実の方が大きく見えてしまうものです。
ダビデが将来王様になることは神様の約束でした。でも、現実はひどい苦しみを通らされます。
ダビデはサウル王に命を狙われて逃げ、人生で最悪な時期をスタートさせます。まず、食べ物がなくて飢えていたことがわかります。彼は、祭司アヒメレクのところに行って、神様にささげられた供え物のパンをもらいます。ダビデは「サウルに命を狙われている」とは言わずにごまかします。本来このパンは神様にささげられたものであって、その後は祭司とレビ人以外は食べてはならないものです。
(1-6節)
ダビデはノブの祭司アヒメレクのところに行った。(…中略…)ところで、今、お手もとに何かあったら、五つのパンでも、何か、ある物を私に下さい。」祭司はダビデに答えて言った。「普通のパンは手もとにありません。ですが、もし若い者たちが女から遠ざかっているなら、聖別されたパンがあります。」(…中略…)そこで祭司は彼に聖別されたパンを与えた。そこには、その日、あたたかいパンと置きかえられて、主の前から取り下げられた供えのパンしかなかったからである。
この時ダビデは「食べ物がなくてひもじかった」と書かれています。(マルコ2.25)またこのパンは律法によると祭司以外は食べてはならないものです。それでも、人が飢えている時は律法で禁止されているパンであっても与えることが大切だとイエス様は言われました。(マルコ2.23-25)ダビデは惨めな逃亡生活をスタートさせます。
この後、ダビデは敵であるペリシテ人のアキシュ王のところに行きます。もしかしたらそこで生き延びることができるかもしれないと思ったようです。ところが、すぐにペリシテ人を倒しているあのダビデであることがバレてしまいます。ダビデは非常に恐れ、頭がおかしくなった演技をして危機を逃れます。
(10-13節)
ダビデはその日、すぐにサウルからのがれ、ガテの王アキシュのところへ行った。するとアキシュの家来たちがアキシュに言った。「この人は、あの国の王ダビデではありませんか。みなが踊りながら、『サウルは千を打ち、ダビデは万を打った。』と言って歌っていたのは、この人のことではありませんか。」ダビデは、このことばを気にして、ガテの王アキシュを非常に恐れた。それでダビデは彼らの前で気違いを装い、捕えられて狂ったふりをし、門のとびらに傷をつけたり、ひげによだれを流したりした。
ダビデは飢えたり、気ちがいのふりをしたりと、最悪のことをしてサウルから逃れています。こんなに酷い状況なのに、ダビデは神様を信頼し続けていることがわかります。詩篇34編はダビデの賛美と祈りです。この最悪の状況の時の彼の祈りです。
(詩篇 34.1-4)
ダビデによる。彼がアビメレクの前で気違いを装い、彼に追われて去ったとき
1 私はあらゆる時に主をほめたたえる。
私の口には、いつも、主への賛美がある。
2 私のたましいは主を誇る。
貧しい者はそれを聞いて喜ぶ。
3 私とともに主をほめよ。
共に、御名をあがめよう。
4 私が主を求めると、主は答えてくださった。
私をすべての恐怖から救い出してくださった。
飢えている時も、敵の王の前で気ちがいの演技をしている時も、いつもダビデの心の中は神様に求め神様を信頼していたことがわかります。人から見ると最悪の時期です。それでも、ダビデの神様への信頼は無くなりませんでした。しかも、この苦しみを通して彼は王様への道を確実に歩んでいることがわかります。
僕らの人生も最悪の時期があります。また、弱い僕らのこの体はやがて衰え死を受け入れなければなりません。それでも、神様は僕らに栄光と完全な回復を与え、イエス様を同じように素晴らしい将来の姿を約束してくださっています。
(ローマ 8:18)
今の時のいろいろの苦しみは、将来私たちに啓示されようとしている栄光に比べれば、取るに足りないものと私は考えます。
僕らがどんなに惨めに思っても、神様がくださる将来の希望と栄光は無くなりません。どん底でも大丈夫です。神様の言葉は必ず実現します!ハレルヤ!
0 件のコメント:
コメントを投稿