神様から指導者に選ばれた人は、神様に従う責任も重大です。サウル王は神様に従わなかったので、神様の怒りを買いついに敵に殺されます。彼一人ではなく、子どもたちも、部下たちも殺されます。指導者が神様に従わないことは国全体に悪影響があります。
2 ペリシテ人はサウルとその息子たちに追い迫って、サウルの息子ヨナタン、アビナダブ、マルキ・シュアを打ち殺した。
3 攻撃はサウルに集中し、射手たちが彼をねらい撃ちにしたので、彼は射手たちのためにひどい傷を負った。
4 サウルは、道具持ちに言った。「おまえの剣を抜いて、それで私を刺し殺してくれ。あの割礼を受けていない者どもがやって来て、私を刺し殺し、私をなぶり者にするといけないから。」しかし、道具持ちは、非常に恐れて、とてもその気になれなかった。そこで、サウルは剣を取り、その上にうつぶせに倒れた。
イスラエルの王様の役目は、神様のことばを聞き、神様のことばに従って導くことでした。王様が神様に誠実に従うかどうかは、国全体の祝福がかかっている大問題です。選ばれた人は特に、毎日神様の教えを読み高ぶることなく従うようにと言われていました。
(申命 17:18-19)
彼がその王国の王座に着くようになったなら、レビ人の祭司たちの前のものから、自分のために、このみおしえを書き写して、自分の手もとに置き、一生の間、これを読まなければならない。それは、彼の神、主を恐れ、このみおしえのすべてのことばとこれらのおきてとを守り行なうことを学ぶためである。それは、王の心が自分の同胞の上に高ぶることがないため、また命令から、右にも左にもそれることがなく、彼とその子孫とがイスラエルのうちで、長くその王国を治めることができるためである。
人間は弱いもので、権力や立場が与えられるとそれに慣れてしまいます。高ぶっていることにも気づかなくなります。サウル王は最初は謙遜に従う王様でしたが、いつのまにか自分の手柄や栄光を求める人になってしまいました。
ある時は勝利を神様のものとせず、自分の手柄にして「自分のための記念碑」を立てました。(15.12)預言者サムエルはサウル王に「なぜ主の御声に聞き従わないのか」と質問しますが、その時サウル王は「私は聞き従った」「兵たちが悪い」と言います。(15.19-21節)聞き従うことはどんなことより神様に喜ばれます。
(15.22-23節)
サムエルは言った。「主は、全焼のささげ物やいけにえを、主の御声に聞き従うことほどに喜ばれるだろうか。見よ。聞き従うことは、いけにえにまさり、耳を傾けることは、雄羊の脂肪にまさる。従わないことは占いの罪、高慢は偶像礼拝の悪。あなたが主のことばを退けたので、主もあなたを王位から退けた。」
預言者に罪を指摘された後でも彼は「私のメンツを立ててください」と願います。彼は神様より自分が恥をかかないこと、メンツが守られることが優先でした。
(15章30節)
サウルは言った。「私は罪を犯しました。しかし、どうか今は、私の民の長老とイスラエルとの前で私を立ててください。どうか一緒に帰ってください。私はあなたの神、主を礼拝します。」
最後まで高ぶりをやめなかったサウル王は誰よりも低くされ、恥を受けました。その遺体はまさに恥さらしでした。
(9-10節)
彼らはサウルの首を切り、その武具をはぎ取った。そして、ペリシテ人の地にあまねく人を送って、彼らの偶像の宮と民とに告げ知らせた。彼らはサウルの武具をアシュタロテの宮に奉納し、彼の死体をベテ・シャンの城壁にさらした。
人の上に立つように選ばれた人は特に謙遜さを身につける必要があります。多くを任された人には神様のさばきも厳しいです。教会の指導者は神様のみことばに誠実であることが求められます。
(ヤコブ 3:1)
私の兄弟たち。多くの者が教師になってはいけません。ご承知のように、私たち教師は、格別きびしいさばきを受けるのです。
指導者がみことばに足したり引いたりせず、誠実に、謙遜に聞き従うことはその群れ全体の祝福に繋がります。親が聞き従うことは家族全体の守りになり、教会の牧師やリーダーが謙遜に誠実に聖書に聞き従うことは教会全体の守りと祝福になります。
サウル王の不従順の悪影響は国全体に及びました。そのせいで息子のヨナタンさえも敵に殺されました。
今日も同じように僕らは神様のみことばに対する誠実さが求められています。それは、自分が所属するグループ全体の祝福につなります。
聞くだけでなく従いましょう。高ぶっていないかどうか、神様のことばを無視していないかどうか、自分を調べてみましょう。
そして、特にリーダーが、牧師が、親が、宣教師が守られるように祈りましょう。彼らが高ぶることなく、誠実にみことばの前に謙遜でいられますように。
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