2023年2月1日水曜日

詩篇63篇

 詩篇は祈りのお手本です詩篇63篇はダビデが辛く苦しい状況の時に書かれたものです表題には「ダビデの賛歌。彼がユダの荒野にいたときに」と書かれていて、彼が息子のクーデターに会い、荒野で逃亡生活をしなければならなかった時のものです

僕らは苦しい時に、神様にあれを下さい、こうして下さい、とあれが足りない、これが足りないと不満を言います。ところが、何もない逃亡生活の中でダビデの願いはただ一つです。それは「神様ご自身を求めること」でした。


(1-2節)

神よ。

あなたは私の神。

私はあなたを切に求めます。

水のない、砂漠の衰え果てた地で、私のたましいは、あなたに渇き、私の身も、あなたを慕って気を失うばかりです

私は、あなたの力と栄光を見るために、こうして聖所で、あなたを仰ぎ見ています。


ダビデは何もかも不足している中で、まず自分が「神様に」飢え渇いている、と認めます。そして、「神様を」心から求めます。

僕ら人間に本当に必要なことは神様との霊的な交わりです神様との親密な交わりこそが本当に必要なことですなぜなら神様こそ僕らに必要なすべての根源だからです神様との交わりが与えられると、満たされた平安と喜びが与えられます。ダビデは苦しみの中で神様を求め、神様が一緒にいることに目が開かれました。それで、神様への賛美と喜びに満たされています。


(3-5節) 

あなたの恵みは、いのちにもまさるゆえ、私のくちびるは、あなたを賛美します。

それゆえ私は生きているかぎり、あなたをほめたたえ、あなたの御名により、両手を上げて祈ります。

私のたましいが脂肪と髄に満ち足りるかのように、私のくちびるは喜びにあふれて賛美します。


問題解決のために悩んだり、動き回ったりする前に、時間をかけて求めるべきは神様との親密な交わりですこの神様の愛は、僕らのためにイエス様のいのちさえ捨てるほどですいのちさえ惜しまずに与えて下さる方が、その他のすべてを与えてくれないはずがありません。その恵みの大きさを思うほどに、苦しみの中でも神様を賛美し、両手をあげて祈り、喜びに満ち溢れます。

この態度は僕らの模範です神様の恵みや愛は僕らが思う以上です僕らのためにいのちを捨てるほどの愛です。まさに「神様の恵みはいのちにもまさる」とある通りです(3節)


(ローマ 8:32)

私たちすべてのために、ご自分の御子をさえ惜しまずに死に渡された方が、どうして、御子といっしょにすべてのものを、私たちに恵んでくださらないことがありましょう。


ダビデと神様の交わりは、すごく親密でプライベートなものでした。夜、寝床にいる時に神様を思い出し、安心し、喜びます。ダビデの布団の中は神様との交わりの場所でした。まるでひな鳥が母鳥の翼の下に隠れて安心しているみたいです

(6-8節) 

ああ、私は床の上であなたを思い出し、夜ふけて私はあなたを思います。

あなたは私の助けでした。

御翼の陰で、私は喜び歌います。

私のたましいは、あなたにすがり、あなたの右の手は、私をささえてくださいます。


ダビデは敵に狙われていました。でも、神様の自分への愛の大きさを考えれば考えるほど、敵が自分に勝てるはずがないことがわかります。全能の神様が自分を愛し守ってくださるからですダビデは神様との交わりを優先し、神様に感謝し賛美しました。その中で、敵の敗北が決まっていることも確信します。


(9-11節) 

しかし、私のいのちを求める者らは滅んでしまい、地の深い所に行くでしょう。

彼らは、剣の力に渡され、きつねのえじきとなるのです

しかし王は、神にあって喜び、神にかけて誓う者は、みな誇ります。


僕らも同じです

問題に振り回されて心配するよりも、神様を求め、神様の愛に浸り、安心して、賛美しましょう。

神様をまず求め、神様を讃えることこそが勝利です。ハレルヤ!


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