神様はいろんな種類の賜物(プレゼント)を与えてくださいますが、その中でも特に「預言」を求めなさい、と言います。
(1コリント 14:1)
愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。
預言は神様から預かった言葉のことです。旧約聖書には何度も「○○に次のような主のことばがあった」と繰り返されています。例えば「エレミヤに次のような主のことばがあった。」「ヨナに次のような主のことばがあった」「預言者ハガイに次のような主のことばがあった。」などです。
同じように、教会ができたかばかりで、かつ新約聖書がまだ完成してなかった時代には預言がありました。礼拝の途中、預言の賜物を与えられた人が「次のような主のことばがありました」と語り始めることはしょっちゅうだったようです。この当時の預言とは何か?をまとめると、以下のようになります。
預言は人を育てることばや勧めや慰めです。(14.3)
預言は教会を成長させることばです。(14.4)
預言は意味がわかることばです。(14.19、23)
預言は人の罪を指摘し、悔い改めに導きます。(14.24)
預言は他の人を尊重し、秩序を重んじる態度を伴います。(14.31-32)
預言は記録された聖書の教えと一致しています。また、それを吟味する必要があります。(14.29)
ありがたいことに今は使徒たちの教えや手紙が「新約聖書」としてまとまっているので、「次のような主のことばがありました」とか「啓示がありました」と言う人は少ないです。それでもたまに、そのような人もいます。大事なことは「私に主からの預言がありました」と言う人がいたら、その内容が聖書の教えと同じかどうか、上記の内容かどうか吟味することです。ちなみにモルモン教を作った人も、統一教会(世界平和統一家庭連合)を作った人も「私に啓示が与えられました」という預言者が作った宗教です。どちらも聖書と違うことを教えています。
新約聖書がない時代でも、みんなはその発言が神様からのものかどうか吟味し、聖書(旧約)を調べて照らし合わせていました。
29 預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。
使徒パウロのことばでさえも、本当に主の言葉か?ということで人々は聖書を調べていました。
(使徒 17:11)
ここのユダヤ人は、テサロニケにいる者たちよりも良い人たちで、非常に熱心にみことばを聞き、はたしてそのとおりかどうかと毎日聖書(旧約)を調べた。
僕らは新約聖書が与えられている時代に生きています。それでも、神様は僕らの口を用いてくださることには変わりまりません。神様は「聖書与えたから各自で読むように。」という方ではありません。(もちろん各自読むの、大事です。)読むだけでなく、僕らの口を通して互いに教え、励ますようにと神様は願っておられます。神様は今日も僕ら一人一人を用いて人を育てることばや勧めや慰めを与えてくださり、教会を成長させてくださり、必要な時には人の罪を指摘し、悔い改めに導いてくださいます。その意味で僕らは今日も預言の賜物を求めるべきです。1コリント14章は神様は僕らに「預言することを熱心に求めなさい。」(1)で始まり、「預言することを熱心に求めなさい。」(39)で終わります。
さらに、今日の箇所では、人と教会を励まし成長させるための預言は「言いたい、言ってやりたい!」という自己満足ではなく、黙ることも順番やマナーを守ることもできるしそれが大事なことだと教えています。
29 預言する者も、ふたりか三人が話し、ほかの者はそれを吟味しなさい。
30 もしも座席に着いている別の人に黙示が与えられたら、先の人は黙りなさい。
31 あなたがたは、みながかわるがわる預言できるのであって、すべての人が学ぶことができ、すべての人が勧めを受けることができるのです。
32 預言者たちの霊は預言者たちに服従するものなのです。
33 それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。
39 それゆえ、わたしの兄弟たち。預言することを熱心に求めなさい。異言を話すことも禁じてはいけません。
40 ただ、すべてのことを適切に、秩序をもって行ないなさい。
聖書は「だれでも、聞くには早く、語るにはおそく」と教えます。(ヤコブ1.19)教会の交わりは「私はこう思う」「いや、私はこうだ」というバトルの場ではありません。互いに相手を通して神様から学ぼうとする秩序と謙遜さは御霊によて現れます。
教会の最小単位は夫婦です。夫婦に御霊が与えられ、神様について語りあい、励まし合い、相手を成長させ、愛し合うのが夫婦です。夫婦は教会の一部です。ところが、この当時のコリント教会の女性の中には夫に相談したり話し合ったりせずに、いきなり、教会の中で「私はこう思う」と主張したり、夫を飛び越えて他の男性に質問や相談したり教えたりして教会を混乱させる女性がいたようです。パウロはそんな女性たちに厳しく言います。
33 それは、神が混乱の神ではなく、平和の神だからです。聖徒たちのすべての教会で行なわれているように、
34 教会では、妻たちは黙っていなさい。彼らは語ることを許されていません。律法も言うように、服従しなさい。
35 もし何かを学びたければ、家で自分の夫に尋ねなさい。教会で語ることは、妻にとってはふさわしくないことです。
聖書は夫婦の間に役割があることを教えています。夫はキリストの十字架のように妻のために命をかけて愛する役目が与えられています。(エペソ5.25など)妻は、キリストに従うように夫に従い助ける役目が与えられています。(エペソ5.22など)そのような夫婦の交わりこそが教会です。そのように成長させてくださるのが御霊ご自身です。夫婦の交わりを無視したり、夫婦の語り合いを後回しにして教会の成長はありません。当時のコリント教会は派閥争い、性的な罪が蔓延していたことが書かれています。その延長で礼拝の途中もみんなが言いたい放題、やりた放題、聖餐でさえ「我先に」とパンを食べ、飲み過ぎて酔ってる人がいる始末でした。(11.21)夫婦が御霊によって語り合い、妻は夫を尊敬し、夫は妻を愛し赦しあっているならば、教会は余計な問題やトラブルから守られます。
御霊の下さる愛、御霊の下さる預言は僕らを整えてくださり、秩序を与えて個人も夫婦も家族も教会も整えてくださいます。御霊は秩序を与えてくださいます。「神が混乱の神ではなく、平和の神」です。神様は「すべてのことを適切に、秩序をもって行ないなさい。」と僕らにも言われます。
僕はちょっと前まで「御霊の導きなんだから、時間設定なんて無視してオッケー」とか「御霊の導きなんだから規約とか無視してオッケー」と思ってました。でもそれは違います。すみませんでした。御霊は適切さ、秩序を重んじる方です。言いたいことがあっても黙り、話の途中でも他の人に譲る方です。御霊は自由と喜びを失うことなく秩序や適切な役割を重んじる方です。主は素晴らしいです。ハレルヤ!
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