神様は僕らにいろんな賜物(プレゼント、ギフト)を与えてくださっています。神様が僕らがに預けてくださってる目的は「みんなの益となるため」です。(1コリント12.7)そのためには、預かったものを乱用せず秩序を重んじて使うことも必要です。聖書は「愛を追い求めなさい」と教えます(1)礼儀やマナーを重んじることも「愛」です。(1コリント13.5)そして御霊は僕らを「自制」させてくださいます。(ガラテヤ5.23)もちろん、愛は自分の損得より人を大事にすることです。(13.5)それで、今日の箇所は「自分だけでなく、教会のみんなが成長するために、みんながわかる言葉を使うように」というすすめです。
神様は「異言」というプレゼントを与えてくださいます。これは素晴らしいもので、神様と語り合い、神様と親しくなり、自分を成長させる言葉です。この手紙を書いているパウロ自身が、誰よりも多く異言が与えられて感謝しています。
2 異言で語る人は、人に向かって語るのではなく、神に向かって語ります。というのは、だれも理解できませんが、御霊によって奥義を語るのです。
4 異言を語る者は自分の自らを成長させますが、預言する者は教会を成長させます。
18 私は、あなたがたのだれよりも多くの異言で語っていることを、神に感謝しています。
僕は「異言」の賜物は預かってませんが、与えられている人に聞いたら、みんな「素晴らしい」と口を揃えて感謝しています。ところが、「異言」はそんなに素晴らしいのに、他人には意味がわかりません。だから、教会のみんなが成長するためにはむしろ意味のわかる「預言」を熱心に求めなさい、と聖書は言います。「預言」は人を育て、勧め、慰める神様の言葉です。「異言」は神様だけに向かう、他人には意味のわからない言葉です。
1 愛を追い求めなさい。また、御霊の賜物、特に預言することを熱心に求めなさい。
2 異言で語る人は、人に向かって語るのではなく、神に向かって語ります。というのは、だれも理解できませんが、御霊によって奥義を語るのです。
3 しかし預言する人は、人を育てることばや勧めや慰めを、人に向かって話します。
4 異言で語る人は自らを成長させますが、預言する人は教会を成長させます。
5 私はあなたがたがみな異言で語ることを願いますが、それ以上に願うのは、あなたがたが預言することです。異言で語る者がその解き明かしをして教会の成長に役立つのでないかぎり、預言する人のほうがまさっています。
どんなに霊的で素晴らしくても、意味が伝わらないと役に立たない、と聖書は言い切ります。
7 笛や竪琴などいのちのない楽器でも、変化のある音を出さなければ、何を吹いているのか、何をひいているのか、どうしてわかるでしょうか。
8 また、ラッパ(戦闘合図のラッパ)がはっきりしない音を出したら、だれが戦いの準備をするでしょう。
9 同じようにあなたがたも、舌で明瞭なことばを語らなければ、話している事をどうしてわかってもらえるでしょうか。空気に向かって話していることになります。
どんなに神様に向かって霊的に高められていても、みんなが共有できないなら教会の成長にならないし、益になりません。だから、自分だけが感謝し成長することよりも、人が成長させられることばを求めなさい、と聖書は言います。
3 預言する人は、人を育てることばや勧めや慰めを、人に向かって話します。
4 異言で語る人は自らを成長させますが、預言する人は教会を成長させます。
5 私はあなたがたがみな異言で語ることを願いますが、それ以上に願うのは、あなたがたが預言することです。
12 あなた方も、御霊の賜物を熱心に求めているのですから、教会を成長させるために、それが豊かに与えられるように求めなさい。
もちろん「異言」がダメ、ということではありません。聖書は「あなた方がみな異言で語ることを願います」と言います。(5)でも、意味が共有できないなら、「解き明かしをして教会の成長に役立つのでない限り、預言する人の方が優っています。」(5)
もし、皆さんに異言が与えられているなら、「それを解き明かすことができるように祈りなさい」と聖書は言います。(13)意味がわからないと、周りの人は困ります。神秘的なことをやっていても、本人は盛り上がっていていても、周りは戸惑うばかりです。「解き明かす者がいなければ、教会では黙っていて、自分に対し、また神に対して語りなさい」と聖書は教えています。(28)
16 そうでないと、あなたが霊において賛美しても、初心者の席に着いている人は、あなたの感謝について、どうしてアーメンと言えるでしょう。あなたが言っていることが分からないのですから。
17 あなたが(異言で)感謝するの結構ですが、そのことで他の人が育てられるわけではありません。(…中略…)
19 教会では、異言で一万のことばを語るよりは、むしろ、ほかの人たちにも教えるために、私の知性で五つのことばを語りたいと思います。
神様は人を神様のみもとに導くために、僕ら教会の僕ら一人一人を用いてくださいます。僕らは自分だけが神様に近づけばいいのではありません。一部の霊的な人だけがよければオッケーではありません。「あなたが感謝するの結構ですが、そのことで他の人が育てられるわけではありません。」(17) 全ての人が、初めて聞く人もわかるように、僕らのことばを、その口を、その心を、その知性を、工夫を用いてくださいます。そして、どんな人にも神様の素晴らしさがわかって一緒に感謝することを願っておられます。今日も周りの人に神様のことがわかるように、意味のわかる言葉を求めましょう。
(1コリント 10:24)
だれでも、自分の利益を求めないで、他人の利益を心がけなさい。
0 件のコメント:
コメントを投稿