イエスキリストが「私の主」「私の神」だとわかる人は神様の側から御霊(神様の霊、神様ご自身)が与えられた人です。つまり神様に選ばれた人です。御霊を与えられた人でなければイエス様を信じることはできないし、神様を知ることができません。御霊を受けた人だけがイエス様を信じ、それを告白することができます。
3 ですから、私は、あなたがたに次のことを教えておきます。神の御霊によって語る者はだれも、「イエスはのろわれよ。」と言わず、また、聖霊によるのでなければ、だれも、「イエスは主です。」と言うことはできません。
さらに、御霊は僕らにいろんな賜物(ギフト)を与えてくださいます。あまりにも多様な種類の賜物があるので、その種類の多さや違いの大きさに僕らは戸惑うかもしれません。僕らが「神様はこうだ」と思うのはごくごく一部です。ある人は「人間が神を知ろうとすることは、アリが人間を知ろうとするようなものだ」と言いました。また、アリが思うよりずっとずっと大きいのが人間です。そして、アリが知らない様々なことを人間はできるし、やってます。
同じように、僕らが知っている神様の働きはほんの一部です。神様は沢山の種類の良い賜物を与えて下さっています。が、どんなに種類や役目が違っても、与えてくださるのは同じ神様です。いろんな違いがあるけれど、同じ神様が与えてくださり、同じ神様がみんなの益になるために与えてくださっている賜物です。優劣はないし、それで派閥争いをしていることは愚かです。
4 さて、御霊の賜物にはいろいろの種類がありますが、御霊は同じ御霊です。
5 奉仕にはいろいろの種類がありますが、主は同じ主です。
6 働きにはいろいろの種類がありますが、神はすべての人の中ですべての働きをなさる同じ神です。
7 しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現われが与えられているのです。
この当時、コリント教会の人たちは派閥に別れていたようです。「アポロ先生の話は上手い、パウロ先生は手紙はいいけど、話は下手。」など、リーダーが与えられている賜物の違いによる派閥もあったようです。(2コリント10.10など)いろんな能力が与えられてるけど、神様はお一人です。同じ神様が、神様の栄光と人々の益のために賜物を与えてくださっています。
まるで、体にいろんな器官があるのと同じです。僕らが思う以上にいろんな役目があって、手は内臓のことを知らないし、内臓は足の裏を知りません。比較したり批判しあったりするのは愚かです。体にはいろんな器官があってこそ一つの体です。
20 しかしこういうわけで、器官は多くありますが、からだは一つなのです。
21 そこで、目が手に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うことはできないし、頭が足に向かって、「私はあなたを必要としない。」と言うこともできません。
僕らが思う以上に神様は教会の中にいろんな役目やいろんな賜物を与えてくださっています。
8 ある人には御霊によって知恵のことばが与えられ、ほかの人には同じ御霊にかなう知識のことばが与えられ、
9 またある人には同じ御霊による信仰が与えられ、ある人には同一の御霊によって、いやしの賜物が与えられ、
10 ある人には奇蹟を行なう力、ある人には預言、ある人には霊を見分ける力、ある人には異言、ある人には異言を解き明かす力が与えられています。
11 しかし、同一の御霊がこれらすべてのことをなさるのであって、みこころのままに、おのおのにそれぞれの賜物を分け与えてくださるのです。
12 ですから、ちょうど、からだが一つでも、それに多くの部分があり、からだの部分はたとい多くあっても、その全部が一つのからだであるように、キリストもそれと同様です。
僕らは自分の育った教会のしか知りません。でも、神様の体である教会は僕らが思う以上に大きく、いろんな賜物や役目があります。たとえば僕が育った東栄福音キリスト教会は礼拝の中で異言(神様と本人にしかわからない言葉)で祈る人はいないし、それをみんなに説明してくれる人もいない、という教会です。逆に、音楽ができる人はたくさんいます。そのような賜物を預かっている教会です。いろんな教会があるけど、全部が神様の教会です。神様は僕らが思うよりももっと大きく、そしていろんな賜物を豊かに与えてくださっています。その目的は神様の栄光のため、そしてみんなの益となるためです。自己満足のためでないし、自分の栄光のためでもありません。
7 しかし、みなの益となるために、おのおのに御霊の現われが与えられているのです。
聖霊は、教会を一致させてくださいます。一人一人のうちに住まわれる聖霊は、お一人だからです。御霊は比べ合いや悪口や批判や党派心を産みません。互いに尊敬し仕え合う霊です。
13 なぜなら、私たちはみな、ユダヤ人もギリシヤ人も、奴隷も自由人も、一つのからだとなるように、一つの御霊によってバプテスマを受け、そしてすべての者が一つの御霊を飲む者とされたからです。
僕らが思う以上に神様のくださる賜物の範囲は広いです。そして、僕らが思う以上に教会は大きく、広いです。そして、世界の教会は一つです。御霊の賜物はいろんなタイプがあります。批判しあったり排除しあったりするのでなく、一つの体となるように、互いに仕えあい、互いの益となるように、ささげあいましょう。
それぞれに良いものが与えられています。僕らの能力でなく神様のものです。そして「みなの益」のためです。(7)与えられている良いものをケチケチせずにささげ合いましょう。能力は神様のもの、みんなのものです。イエス様の体(教会)にはいろんな役目が必要です。
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