誰も見ていなくても、神様は見ておられます。そして、神様は僕らの心の中も見ておられます。そして、僕らも自分の心を見る必要があります。心の中に高ぶりがあるなら、今は少しだとしても大きくなって口に出るし、その結果、あらゆることが壊れると聖書は言います。
17 直ぐな者の大路は悪から離れている。自分のいのちを守る者は自分の道を監視する。
18 高ぶりは破滅に先立ち、心の高慢は倒れに先立つ。
自分の心を見て見ましょう。高ぶりや悪口やズルさはあるでしょうか。放置するなら大きくなります。まるで小さな火が大火事に発展するようです。罪は必ず成長してしまいます。小さいうちに神様に認めましょう。「今、悪いことを企んでいます」「○○さんのことをさばいています。悪く思っています。」と祈ってそれをやめましょう。
27 よこしまな者は悪をたくらむ。その言うことは焼き尽くす火のようだ。
28 ねじれ者は争いを巻き起こし、陰口をたたく者は親しい友を離れさせる。
僕らの心に神様のことばが入ると罪が良くわかります。みことばは光です。そしてみことばは神様の無限の知恵であり、どんな金銀よりも価値があります。
16 知恵を得ることは、黄金を得るよりはるかにまさる。悟りを得ることは銀を得るよりも望ましい。
17 直ぐな者の大路は悪から離れている。自分のいのちを守る者は自分の道を監視する。
20 みことばに心を留める者は幸いを見つける。主に拠り頼む者は幸いである。
みことばに心を留める人は「幸いである」と聖書は言います。それは僕らが思うよりずっと幸いです。高ぶっても人を批判しても、恨んでも憎んでもさばいても幸せにはなれません。罪は人間にはつきものです。必ずあります。それを認め、告白してやめる人は幸いです。その人の口は変わります。そして口から出ることばが人を癒すように変えられます。
23 知恵のある者の心はその口をさとし、そのことばに理解を増し加える。
24 親切なことばは蜂蜜、たましいに甘く、骨を健やかにする。
心を見張って、自分の高ぶりを認める人は心を治めています。心を治める人はどんな勇者よりも優れた人です。
32 怒りをおそくする者は勇士にまさり、自分の心を治める者は町を攻め取る者にまさる。
誰も見ていなくても、神様は見ておられます。今日、自分の心を見て見ましょう。高ぶりや悪口やズルさが見える人は幸いです。その人は心を治めることができます。罪を認めましょう。そして、神様に祈りましょう。
祈りの例です。
「神様、私の心を見てください。○○という悪い心があります。この罪をやめます。罪人の私はイエス様と一緒に死にました。これからは、イエス様がわたしの命の全て、心の全てです。ご支配ください。罪を手放し、心を神様に委ねます。」
(ローマ 6:7-8)
死んでしまった者は、罪から解放されているのです。もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる、と信じます。
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