2023年2月14日火曜日

創世記18.23-32

 創世記18.23-32


神様は、邪悪さと暴虐に満ちた町ソドムの全員を滅ぼそうとされました。ところが、その時、アブラハムは正しい人まで一緒に滅ぼしてしまうのですか?と交渉します。神様の答えは驚きです。その中にわずかでも正しい人がいるなら、その人たちのゆえに「その町の全てを赦そう」と言われました。少しの正しい人がいるなら、悪い者たち全員が赦される、という約束です。



(23-32)

23,アブラハムは近づいて言った。「あなたは本当に、正しい者を悪い者とともに滅ぼし尽くされるのですか。

24,もしかすると、その町の中に正しい者が五十人いるかもしれません。あなたは本当に彼らを滅ぼし尽くされるのですか。その中にいる五十人の正しい者のために、その町をお赦しにならないのですか。

25,正しい者を悪い者とともに殺し、そのため正しい者と悪い者が同じようになる、というようなことを、あなたがなさることは絶対にありません。そんなことは絶対にあり得ないことです。全地をさばくお方は、公正を行うべきではありませんか。」

26,主は言われた。「もしソドムで、わたしが正しい者を五十人、町の中に見つけたら、その人たちのゆえにその町のすべてを赦そう。」

27,アブラハムは答えた。「ご覧ください。私はちりや灰にすぎませんが、あえて、わが主に申し上げます。

28,もしかすると、五十人の正しい者に五人不足しているかもしれません。その五人のために、あなたは町のすべてを滅ぼされるのでしょうか。」主は言われた。「いや、滅ぼしはしない。もし、そこに四十五人を見つけたら。」

29,彼は再び尋ねて言った。「もしかすると、そこに見つかるのは四十人かもしれません。」すると言われた。「そうはしない。その四十人のゆえに。」

30,また彼は言った。「わが主よ。どうかお怒りにならないで、私に言わせてください。もしかすると、そこに見つかるのは三十人かもしれません。」すると言われた。「そうはしない。もし、そこに三十人を見つけたら。」

31,彼は言った。「あえて、わが主に申し上げます。もしかすると、そこに見つかるのは二十人かもしれません。」すると言われた。「滅ぼしはしない。その二十人のゆえに。」

32,また彼は言った。「わが主よ。どうかお怒りにならないで、もう一度だけ私に言わせてください。もしかすると、そこに見つかるのは十人かもしれません。」すると言われた。「滅ぼしはしない。その十人のゆえに。」



この時同じように、神様がやがてこの世界を滅ぼされる事が決まっています。そしてまた、この時と同じように、少しでも正しい人がいるなら「その人たちのゆえにその町のすべてを赦そう。」(26)とも言ってくださっています。神様の憐れみは今も残されています。僕らの中には完璧な義人、イエス・キリストがいます。イエス様ゆえに、全ての人は赦されます。罪人が赦されるのは、本人とは関係なく、イエス様の義によることです。イエス様だけは全く罪がなく、しかも、僕らの罪を引き受けて身代わりの代価として十字架で処刑されました。このイエス様の義があるから、僕ら全員が赦されます。僕らの行いは関係ありません。ただ、この愛と恵みを信じるのみです。「一つの義の行為によってすべての人が義と認められて、いのちを与えられるのです。」(ローマ5.18)「キリストによってすべての人が生かされるからです。」(1コリント15.22)「神は、私たちが御怒りに会うようにお定めになったのではなく、主イエス・キリストにあって救いを得るようにお定めになったからです。」(1テサロニケ5.9)


イエス様によって罪人が救われることは福音です。これを知らない人が多すぎます。「神は、すべての人が救われて、真理を知るようになるのを望んでおられます。」(1テモテ2.4)この福音がすべての人たちに伝わりますように。




0 件のコメント:

コメントを投稿