僕らは人の欠点を探し、批判するのが大好きです。また、貧しい人や苦しむ人を見て「あれが悪いからだ、あそこに原因がある」と分析し、関わろうともしないのが僕らの現実です。聖書はそのような悪と悪魔に立ち向かいなさい、と言います。(ヤコブ4.7)神様は僕らにも貧しさを与え、僕らが試練の中でも悪に立ち向かい、神様を信頼する練習をさせてくださいます。
1 一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。
体を鍛える人は坂道を喜んで登り、重いバーベルを持ち、負荷をかけて体を作ります。同じように、神様は負荷をかけて僕らが神様を信頼し、神様を愛し、人を愛する方向を選ぶ練習をさせてくださいます。まるで金や銀が高温で純化されていくようです。
3 銀にはるつぼ、金には炉、人の心をためすのは主。
僕らが豊かでも貧しくても、状況が良くても悪くても主に感謝し、争わず、相手を愛し受け入れるのが主からの訓練です。人の悪を思わず、貧しい人を大事にし、神様の言葉を聞くことを選ぶ練習です。悪には善で返し、自分と考えの違う人を尊重する練習です。
1 一切れのかわいたパンがあって、平和であるのは、ごちそうと争いに満ちた家にまさる。
3 銀にはるつぼ、金には炉、人の心をためすのは主。
4 悪を行なう者は邪悪なくちびるに聞き入り、偽り者は人を傷つける舌に耳を傾ける。
5 貧しい者をあざける者は自分の造り主をそしる。人の災害を喜ぶ者は罰を免れない。
9 そむきの罪をおおう者は、愛を追い求める者。
14 争いの初めは水が吹き出すようなものだ。争いが起こらないうちに争いをやめよ。
17 友はどんなときにも愛するものだ。兄弟は苦しみを分け合うために生まれる。
神様はまるで愛する子どもを訓練するように懲らしめも与えてくださいます。神様からの懲らしめがあるからこそ僕らは自分の罪や高ぶりがわかり、それを認め、謝り、方向転換をし、神様への信頼が成長します。(ヘブル12.6-7)
もし、神様の懲らしめがあっても悪を求め続け愚かなことばかりをする人は手のつけようがない、と聖書は言います。子を奪われて激しく怒るクマよりもヒドいです。そのような人は自分から不幸と破滅を求めている状況です。
10 悟りのある者を一度責めることは、愚かな者を百度むち打つよりもききめがある。
11 ただ逆らうことだけを求める悪人には、残忍な使者が送られる。
12 愚かさにふけっている愚かな者に会うよりは、子を奪われた雌熊に会うほうがましだ。
13 善に代えて悪を返すなら、その家から悪が離れない。
19 そむきの罪を愛する者はけんかを愛する。自分の門を高くする者は破滅を求める。
20 心の曲がった者は幸いを見つけない。偽りを口にする者はわざわいに陥る。
神様は僕らを愛し喜んでおられます。僕らは神様の子どもとして、良いことをする子どもとして作られました。神様の子どもらしいことを選びましょう。
(エペソ 2:10)
私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです。神は、私たちが良い行ないに歩むように、その良い行ないをもあらかじめ備えてくださったのです。
7 すぐれたことばは、しれ者にふさわしくない。偽りのくちびるは、高貴な人にはなおさらふさわしくない。
僕らは神様の子どもです。どんな状況でも主がともにいてくださるし、愛してくださいます。意見の合わない人を愛し、傷つける敵を赦し祝福しましょう。神様の子どもらしく歩むことは喜びです。神様は僕らが感謝して喜んで歩むようにと願っておられます。それは僕らの健康も良くしてくださいます。僕らの身分は僕らが思う以上に素晴らしいものです。
22 陽気な心は健康を良くし、陰気な心は骨を枯らす。
(1テサ 5:15-18)
だれも悪をもって悪に報いないように気をつけ、お互いの間で、またすべての人に対して、いつも善を行なうよう務めなさい。いつも喜んでいなさい。絶えず祈りなさい。すべての事について、感謝しなさい。これが、キリスト・イエスにあって神があなたがたに望んでおられることです。
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