僕らは心にあることが口に出ます。心が良いと口も良いのですが、残念なことに「人の心は何よりも陰険で、それは直らない。」(エレミヤ17.9)と聖書は言います。僕らは自分では心を直せません。ところが、イエス様を信じて受け入れた人は心も霊も変わります。「古い人(心が悪い人)がキリストとともに十字架につけられた」と聖書は言います。(ローマ6.6)なので、心から愚かな昔の僕らは死にました。今、僕らはイエス様と繋がりイエス様の心が与えられるようになりました。そのことを聖書は「もし私たちがキリストとともに死んだのであれば、キリストとともに生きることにもなる」と言います。(ローマ6.8)
もし、イエス様を拒否するなら、その人の口は欲望の表れでしかありません。愚かなのに、「自分の意見は正しい」と思いこんで、他人のアドバイスも受け入れることができません。その結果は争いと恥をもたらし、そして神様のさばきをもたらすと聖書は言います。
1 おのれを閉ざす者は自分の欲望のままに求め、すべてのすぐれた知性と仲たがいする。
2 愚かな者は英知を喜ばない。ただ自分の意見だけを表わす。
3 悪者が来ると、侮りも来る。恥とともに、そしりも来る。
6 愚かな者のくちびるは争いを起こし、その口はむち打つ者を呼び寄せる。
7 愚かな者の口は自分の滅びとなり、そのくちびるは自分のたましいのわなとなる。
13 よく聞かないうちに返事をする者は、愚かであって、侮辱を受ける。
逆に、イエス様を信じた人は神様の知識や真理のことばを求めるようにます。
15 悟りのある者の心は知識を得、知恵のある者の耳は知識を求める。
聖書は、イエス様のことばを求めるかどうかでその人が神様に繋がってるかどうかがわかると言います。
(ヨハネ 8:47)
神から出た者は、神のことばに聞き従います。ですから、あなたがたが聞き従わないのは、あなたがたが神から出た者でないからです。
(ヨハネ 18:37)
真理に属する者はみな、わたしの声に聞き従います。
神様につながり、神様からのことばを心に持つ人は素晴らしい知恵の泉をもつ人のようです。
4 人の口のことばは深い水のようだ。知恵の泉はわいて流れる川のようだ。
自分の浅知恵でなんとかがんばろう、乗り切ろうとする愚かな僕らは、イエス様を信じた時に死にました。今は圧倒的な神様に守られ、愛され、保護されています。自分の知恵や力に頼っているならお金が安心だったかもしれません。でも、イエス様を信じた人はお金ではなく、神様ご自身が完全に守ってくださる安全な場所です。
10 主の名は堅固なやぐら。正しい者はその中に走って行って安全である。
11 富む者の財産はその堅固な城。自分ではそそり立つ城壁のように思っている。
自分の力、自分の善悪判断で生きる必要はなくなりました。今は神様に愛され守られる安心している子どもです。僕らの前には神様と繋がって命を得るか、神様を拒否して死んで行くかの二択です。いのちの神様と繋がってるかどうか、僕らの口はそれを表しています。
21 死と生は舌に支配される。どちらかを愛して、人はその実を食べる。
今日も僕らはイエス様に繋がっています。僕らは「いいこと言おう、知恵のあること言おう」と背伸びしなくても大丈夫です。イエス様に繋がって、イエス様に聞くだけで大丈夫です。僕らの心も口もイエス様のものです。ハレルヤ!
(ヨハネ 15:4ー5)
わたしにとどまりなさい。わたしも、あなたがたの中にとどまります。枝がぶどうの木についていなければ、枝だけでは実を結ぶことができません。同様にあなたがたも、わたしにとどまっていなければ、実を結ぶことはできません。わたしはぶどうの木で、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人の中にとどまっているなら、そういう人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないからです。
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