「恐れてはならない」「心配してはならない」という教えは聖書に365回書かれているそうです。それだけ僕らは心配や恐れに支配されやすい弱いものです。僕らの心の目が神様を見ているか、それとも状況を見ているかで希望か絶望か、光か闇か、喜びか恐れか、平安か闇かが決まります。神様の大きさを見つめ考えていると問題は小さく見えます。悪魔は見えるもので神様を忘れさせ、神様から離そうとします。ペリシテ軍は圧倒的な武器と巨人とその脅しを毎日浴びせてイスラエルを弱体化させようとしました。その見かけは圧倒的でした。
(3-7節)
3ペリシテ人は向かい側の山の上に構え、イスラエル人は手前側の山の上に構えた。その間には谷があった。4一人の代表戦士が、ペリシテ人の陣営から出て来た。その名はゴリヤテ。ガテの生まれで、その背の高さは六キュビト半(3メートル近く。)半。5頭には青銅のかぶとをかぶり、鱗綴じのよろいを着けていた。胸当ての重さは青銅で五千シェケル。(57キロくらい)6足には青銅のすね当てを着け、背には青銅の投げ槍を負っていた。7槍の柄は機織りの巻き棒のようであり、槍の穂先は鉄で、六百シェケル(6キロ以上)あった。盾持ちが彼の前を歩いていた。
この巨体と装備を見ただけでイスラエル人たちは恐れます。それだけでなく、彼は毎日2回大声で脅し続けました。
(8-11節)
8ゴリヤテは突っ立って、イスラエル人の陣列に向かって叫んだ。「何のために、おまえらは出て来て、戦いの備えをするのか。おれはペリシテ人、おまえらはサウルの奴隷どもではないか。一人を選んで、おれのところによこせ。9おれと戦っておれを殺せるなら、おれたちはおまえらの奴隷になる。だが、おれが勝ってそいつを殺したら、おまえらがおれたちの奴隷になって、おれたちに仕えるのだ。」10そのペリシテ人は言った。「今日、この日、おれがイスラエルの陣を愚弄してやる。一人をよこせ。ひとつ勝負をしようではないか。」11サウルと全イスラエルは、ペリシテ人のことばを聞き、気をくじかれて非常に恐れた。
(16節)
例のペリシテ人は、四十日間、朝早くと夕暮れに出て来て立ち構えた。
(24節)
イスラエルの人はみな、この男を見たとき、彼の前から逃げ、非常に恐れた。
勝ち目のない敵からの脅しを毎日2回受け続けたら誰でも不安になります。それが40日続きました。「サウルと全イスラエルは、ペリシテ人のことばを聞き、気をくじかれて非常に恐れた。」とあります。実際に攻撃を受けたのではありません。ですが、恐ろしい言葉と見かけの脅しを毎日受け続けました。
恐れは何も生み出しません。恐れは力を奪い、行動力を奪います。恐れは愛を奪い、平安を奪い、希望を奪います。恐は人を弱らせます。恐れは秩序を奪います。だから聖書は「恐れてはならない」と繰り返しています。恐れからは何も生まれないからです。聖書は「人を恐れるとわなにかかる。」と言います。(箴言29:25)聖書は神様からの真理の言葉です。真理の言葉は僕らを恐れから解放し自由にします。(ヨハネ8.32)逆に、悪魔は偽りの言葉をささやき、僕らを恐れさせ動けないように縛ります。悪魔は偽りの父です。(ヨハネ8.44)
この後、この巨人ゴリアテは少年ダビデの神様への信頼によって倒されます。ダビデは神様の偉大さと真理だけを見上げていました。恐れのない彼には力と自由がみなぎっていました。
みなさんを縛っている恐れはなんでしょうか。恐れは神様からの感情ではありません。聖書は恐れてはならないと繰り返します。恐れは人を縛ります。神様のみ言葉は真理です。み言葉は僕らを自由にします。
(マタイ 10:28)
からだを殺しても、たましいを殺せない人たちなどを恐れてはなりません。
恐れは聖書の教えではありません。きっと悪いことが起こる、不幸になる、失敗する、呪われる、恥をかく…などなど、聖書の教えとは真逆だし、聖書を聞かないで、読まないで、調べもしないで想像で「きっと悪いことになる」と決めつけ、悪魔の囁きに騙されて動けなくなってしまいやすいのが人間です。
苦しみはありますが、イエス様によって赦しは確定です。何かが不足することも脅されることもあります。でも、イエス様につく人がその愛から離されることはありません。今日も大丈夫です。状況がどんなに悪くても、神様の愛は変わりません。神様から僕らを離せるものは何もありません。
(ローマ8.35-39)
35だれが、私たちをキリストの愛から引き離すのですか。苦難ですか、苦悩ですか、迫害ですか、飢えですか、裸ですか、危険ですか、剣ですか。(…中略…)37しかし、これらすべてにおいても、私たちを愛してくださった方によって、私たちは圧倒的な勝利者です。38私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いたちも、支配者たちも、今あるものも、後に来るものも、力あるものも、39高いところにあるものも、深いところにあるものも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。
(1ヨハネ 4:18)
愛には恐れがありません。全き愛は恐れを締め出します。
僕らがどう思っても、状況がどんなに悪くても神様の愛は変わりません。今日も明日も、そして永遠に大丈夫です!
自分に聞いて見ましょう。
恐れていることはなんでしょう。何かをしようとする動機は恐れでしょうか。それとも神様への信頼でしょうか。
神様は裏切ることも見捨てることもありません。大丈夫です!
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