2023年2月20日月曜日

創世記22章

 創世記22章

僕らは最初、神様を動かして自分に合わせてもらおうとしがちです。でも、正解は僕らの側が神様に合わせていくことです。神様は完璧だからです。神様は僕らを愛し祝福することにおいても完璧です。神様は試練を通して僕らの側を変えてくださいます。自分の考えを捨てて神様に自分を明け渡していく方向です。そしてそのほうがはるかに良く、完璧だからです。その訓練は毎回自分に従うか、神様に従うかの2択です。これは神様を選び、完璧な神様の愛と祝福と栄光に入れられていくためのものです。「信仰の試練は、火を通して精練されてもなお朽ちて行く金よりも尊いのであって、イエス・キリストの現われのときに称賛と光栄と栄誉に至るもの」です。(1ペテロ1.7)この2択の訓練は小さな物から大きなものまでいろいろで、その人のステージにあったちょうど良いものが与えられます。

信仰の人アブラハムは人間が経験する一番難しい試練を与えられた人です。自分の宝であり最愛の息子イサクを自分で殺して神様にささげよ、という試練です。彼はこのテストを神様を信頼することで合格できました。



(1-2)

これらの出来事の後、神がアブラハムを試練にあわせられた。神が彼に「アブラハムよ」と呼びかけられると、彼は「はい、ここにおります」と答えた。神は仰せられた。「あなたの子、あなたが愛しているひとり子イサクを連れて、モリヤの地に行きなさい。そして、わたしがあなたに告げる一つの山の上で、彼を全焼のささげ物として献げなさい。」



一人息子を奪われるのは悲しいことですが、彼自身が自分の手で彼を殺すように任命されることは、はるかに悲しいことです。しかも、神様はこのイサクは祝福され、その子孫は増え広がり大きな国民となる、とさえ約束してくださっています。イサクを殺すことは、将来の希望や祝福さえ消えていくように思えます。それでも「彼は、神には人を死者の中からよみがえらせることもできる、と考えました。」(ヘブル11.19)それでアブラハムはすぐに神様の命令に従います。



(3-4)

翌朝早く、アブラハムはろばに鞍をつけ、二人の若い者と一緒に息子イサクを連れて行った。アブラハムは全焼のささげ物のための薪を割った。こうして彼は、神がお告げになった場所へ向かって行った。

三日目に、アブラハムが目を上げると、遠くの方にその場所が見えた。


(9-12)

神がアブラハムにお告げになった場所に彼らが着いたとき、アブラハムは、そこに祭壇を築いて薪を並べた。そして息子イサクを縛り、彼を祭壇の上の薪の上に載せた。

アブラハムは手を伸ばして刃物を取り、息子を屠ろうとした。

そのとき、主の使いが天から彼に呼びかけられた。「アブラハム、アブラハム。」彼は答えた。「はい、ここにおります。」

御使いは言われた。「その子に手を下してはならない。その子に何もしてはならない。今わたしは、あなたが神を恐れていることがよく分かった。あなたは、自分の子、自分のひとり子さえ惜しむことがなかった。」



自分の最愛の宝である息子を手放したことは、神様に喜ばれ祝福され賞賛されることでした。アブラハムは何も失いません。失わないどころか、何倍もの祝福になりました。



(15-18)

主の使いは再び天からアブラハムを呼んで、

こう言われた。「わたしは自分にかけて誓う──主のことば──あなたがこれを行い、自分の子、自分のひとり子を惜しまなかったので、

確かにわたしは、あなたを大いに祝福し、あなたの子孫を、空の星、海辺の砂のように大いに増やす。あなたの子孫は敵の門を勝ち取る。

あなたの子孫によって、地のすべての国々は祝福を受けるようになる。あなたが、わたしの声に聞き従ったからである。」



神様からの祝福と喜びはアブラハムだけでなく、アブラハムの親戚にも流れるものとなりました。



(20-22)

これらの出来事の後、アブラハムに次のことが伝えられた。「ミルカもまた、あなたの兄弟ナホルに子を産みました。

長男ウツ、その弟ブズ、アラムの父ケムエル、

ケセデ、ハゾ、ピルダシュ、イデラフ、それにベトエルです。」



神様のために自分を捨てていくことは良いことしかありません。自分が描く将来の安全や計画よりも、はるかに高く素晴らしい神様の祝福が用意されています。神様は「わたしの道は、あなたがたの道よりも高く、わたしの思いは、あなたがたの思いよりも高い。」とおっしゃいます。(イザヤ55.9)目標は僕らが0パーセント、神様が100パーセントになることです。それこそが僕らが本当の自分になっていくことです。献身や服従は損失になるどころか称賛と光栄と栄誉に至るものです。今日も訓練が用意されています。いつも目の前には二択があります。神様のために手放しましょう。もっと良いものが用意されています。自分の計画、自分の考え、お金、時間、大事な人も、完璧な神様の前では小さなことです。手放しましょう。神様は僕らが思う以上の祝福を与えたいと願っておられます。ハレルヤ!


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