2023年2月13日月曜日

2コリント3章

 僕らが信じている聖書のメッセージは「…してはならない」とか「ねばならない」という教えで人を縛り苦しめるものではありません。むしろ、内側から神様を愛したい、もっと神様に感謝したい、従いたい、という気持ちを起こさせるものですそのような気持ちが内側に与えられるのは、神様の御霊が与えられているからです神様の御霊は外側から命令するのでなく、僕らの内側に直接神様の心を与えてくださいます。それは縛るのではなく自由と喜びを伴うものです



6 神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです


17 主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。



僕らの心に御霊が与えられると、僕らの心は神様の考えに似てきます。そのことを聖書は「主と同じかたちに姿を変えられて行く」と言います。僕ら人間はもともとは神様に似せて造られました。(創世記1.26-27)ですが、神様から離れた時に神様に似ることよりも自分の計画、計算で生きるようになり、結果いつも高ぶりか絶望に傾き、その先は死です。でも、イエス様を信じた人はもう一度本来の自分を取り戻します。主のかたちに変えられて行きます。本来の僕らは神様に似た、神様の栄光を反映するように良い行いをする人ですそのような人に変えられていくのが僕らクリスチャンの歩みです


18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです


僕らは善行を積んだから赦されるとか、善行をしたら永遠の命がもらえるのではありません。ただ、イエス様が十字架で身代わりに死刑を受けてくださったから赦されました。僕らが頑張ったから「ごほうびの永遠のいのち」がもらえるのではありません。イエス様が永遠の命そのものだから、その命に繋がりました。ただそれだけです信じた僕らの人生は良い行いをする人に変化します。これはまさに御霊によることです僕らがキリストに似てくることは本来の僕らに戻ることです僕らは良い行いをする神様の作品として作られました。


(エペソ 2:10)

私たちは神の作品であって、良い行ないをするためにキリスト・イエスにあって造られたのです


聖書は「文字は殺す」と言います。(6節)「文字」とは旧約聖書に書かれた律法のことです。モーセは神様から律法(文字)を預かり人々に伝えました。でも、その律法を「条件」のようにして受け取るなら、僕らは誰も合格できません。「…してはいけない」「ねばならない」というルールを上手く守れたら威張り、できない人を見くだします。そして、守れなければ「自分は滅びる…」と落ち込みます。だから「文字(律法)は殺す」と聖書は言います。(6)それでも、律法は聖なる良い教えです(ローマ7.12)この律法を伝えたモーセは栄光ある務めを果たしました。(7)この神様の律法は完全で良いものですが、僕らはそれを守れません。結局、律法は神様の怒りを招きます。(ローマ4.15)そして、律法は僕らを罪に定めます。(9)


でも、そんな僕らにもっと素晴らしい神様の約束(契約)が与えられました。それは、イエス様によって赦され、イエス様によって律法は完全に守られるという契約ですこれはイエス様を信じた時に御霊によって与えられる契約です。「御霊は生かす」と聖書は言います。(6節)


6 神は私たちに、新しい契約に仕える者となる資格をくださいました。文字に仕える者ではなく、御霊に仕える者です。文字は殺し、御霊は生かすからです


僕らが頑張って条件をクリアのではなく、すでにクリアしている完全なイエス様の御霊をいただいて、イエス様に似た人となっていくという、すごい恵みです


8 まして、御霊の務めには、どれほどの栄光があることでしょう。

9 罪に定める務め(モーセが神様の律法を伝えたこと)に栄光があるのなら、義とする務め(イエス様による赦しと祝福を伝えること)には、なおさら、栄光があふれるのです


僕らが預かっている福音は素晴らしすぎます。直射日光に当たると、ろうそくの火はみえなくなってしまいます。そのくらいに、僕らが預かっている福音の素晴らしさは、「ねばならない」「…してはならない」などの律法で合格しようとする考えは消えてしまいます。


10 そして、かつて栄光を受けたものは、このばあい、さらにすぐれた栄光のゆえに、栄光のないものになっているからです

11 もし消え去るべきものにも栄光があったのなら、永続するものには、なおさら栄光があるはずです


イエス様を信じた人は100パーセント聖霊を与えられています。御霊が与えられている人は縛りではなく自由が与えられています。もう、「ねばならない」のではなく内側から「そうしたい」です


17 主は御霊です。そして、主の御霊のあるところには自由があります。

18 私たちはみな、顔のおおいを取りのけられて、鏡のように主の栄光を反映させながら、栄光から栄光へと、主と同じかたちに姿を変えられて行きます。これはまさに、御霊なる主の働きによるのです


僕らは素晴らしい福音のメッセージを預かっています。これは、喜びであり希望であり自由です。重荷でなく、縛りではありません。聖霊によって僕らが喜びつつこれを伝えるものとされていきますように!


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