パウロはコリントの教会の皆さんに「うわべを誇る指導者」(12)に注意するように書いています。ニセ教師もいたけど、教会のメンバーも「あの先生は話がうまい」「あの先生は知識が豊富」「パウロ先生は手紙は強いけど会ってみると弱い」など、人の能力や評判、人気、いい人かどうか、を中心に考える人が多かったようです。(2コリント10.10、1コリント1.12-13など)そんな彼らに聖書は言います。
16 ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。
僕らも同じく「誰が偉いか、偉くないか、正しいか、間違っているか、いい人か、悪い人か」と考えてきました。でも、そんな基準は終わったと聖書は言います。もしも、そんな基準が今も有効なら、人間は神様の前では全員アウトです。神様の基準は高すぎます。完璧な基準の前では全員が罪人です。神様に滅ぼされるだけです。
イエス様はそれでも僕らを愛してくださってます。神様の怒りと裁きを受けて滅ぼされる役目を受けて死んでくださいました。僕らはこのイエス様を信じた時に、神様の怒りと裁きを受けて死んだと見なされました。もう、神様は僕らを責めていません。
14 というのは、キリストの愛が私たちを取り囲んでいるからです。私たちはこう考えました。ひとりの人がすべての人のために死んだ以上、すべての人が死んだのです。
19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。
21 神は、罪を知らない方を、私たちの代わりに罪とされました。それは、私たちが、この方にあって、神の義となるためです。
僕らはイエス様の中につながりました。僕らも死んだと見なされ、イエス様と一緒に復活し、新しい完璧な命につながり、義(完全に正しい人)とみなされるようになっています。
15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
16 ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。
17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
誰が偉いか正しいか、できるかできないか、という古い基準は終わりました。今はイエス様と一緒に生きている、イエス様に愛されている、イエス様の中にいるという新しい人生が始まりました。イエス様は僕らを命をかけて愛してくださっています。そして、僕らもイエス様を信頼し、イエス様を愛し、つながって生きています。それが新しい人生です。
15 また、キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
僕らの新しい人生は、偉いかダメか、ではなく、できるかできないか、でもなく、イエス様を信頼しイエス様を求めイエス様を愛することです。イエス様の中にいる、というのが新しい生き方です。
僕は空は飛べません。が、最近飛行機に乗りました。僕の脚力でジャンプしてどのくらい浮き上がれるかは全然関係ないです。大事なことは飛行機が落ちないと信じて、その中にしっかり乗っていることです。飛行機は僕を運んでくれるし守ってくれます。信頼して機内にしっかりとどまることが全てです。飛行機の前で「誰が高くジャンプできるか」は意味がないです。
同じように、僕らが新しくなったのはいい人になろうと頑張り過ぎたり、クリスチャンぽく振る舞うこととは全く関係ないです。大事なことは「キリストのうち(中)にいる」ことです。そして、そこから落ちないようにしっかり乗り続けることです。イエス様は僕らに御霊を与え、みことばをしっかり聞いて実行する新しい心を与えてくださいました。そしてキリストの体である教会につながり続けるように教えておられます。まるでシートベルトみたいです。「ジャンプしなさい、飛びなさい」という古い教えは終わりました。「キリストの中にしっかりいなさい、キリストを信頼しなさい」というのが新しい教えです。
16 ですから、私たちは今後、人間的な標準で人を知ろうとはしません。かつては人間的な標準でキリストを知っていたとしても、今はもうそのような知り方はしません。
17 だれでもキリストのうちにあるなら、その人は新しく造られた者です。古いものは過ぎ去って、見よ、すべてが新しくなりました。
18 これらのことはすべて、神から出ているのです。
神様は全ての人にこのメッセージを伝えています。もう怒ってないし、和解したいというメッセージです。
19 すなわち、神は、キリストにあって、この世をご自分と和解させ、違反行為の責めを人々に負わせないで、和解のことばを私たちにゆだねられたのです。
20 こういうわけで、私たちはキリストの使節なのです。ちょうど神が私たちを通して懇願しておられるようです。私たちは、キリストに代わって、あなたがたに願います。神の和解を受け入れなさい。
僕らは先にこの和解のメッセージを受け取りました。キリストが犠牲になってくださり、違反行為への怒りと裁きは終わりました。今日も神様は僕らにこの和解のメッセージを伝えるように委ねてくださっています。
僕らの功績や人間的な評価で一喜一憂する古い人生は終わりました。神様の和解と愛が全てです。神様は今日もこの新しい基準で生きるようにと言ってくださっています。もうがっかりしなくてもOKです。信頼してつながりましょう。そして、このメッセージを伝えましょう!
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