イエス様を信じた人は神様の息子、娘だと聖書は言います。僕らが神様を信じたとき、本当の身分(神様の子ども)に戻りました。これから僕らはいつも神様と一緒です。しかも、僕らの体が神様の住まい(宮)です。
16 私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。(…中略…)
18 わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。
僕らは何をしていても神様の子どもだし、何をしていても僕らの体に神様が住んでおられます。僕らの手足はキリストの体の一部となりました。僕らのどこを切ってもキリストのものです。聖書はキリストと僕らを「ぶどうの木と枝」とか「体と器官」のように一体のものとして書いています。(ヨハネ15.5、ローマ12.5など)
キリストにつながったパウロはキリストと同じ苦しみにも会いました。そんな苦しみの中にいても、キリストが下さる聖霊によって親切さや愛を表すことができました。それは、自分が神様のしもべであることの証拠です。
4 あらゆることにおいて、自分を神のしもべとして推薦しているのです。すなわち非常な忍耐と、悩みと、苦しみと、嘆きの中で、
5 また、むち打たれるときにも、入獄にも、暴動にも、労役にも、徹夜にも、断食にも、
6 また、純潔と知識と、寛容と親切と、聖霊と偽りのない愛と、
7 真理のことばと神の力とにより、また、左右の手に持っている義の武器により、
8 また、ほめられたり、そしられたり、悪評を受けたり、好評を博したりすることによって、自分を神のしもべとして推薦しているのです。
パウロも、そして僕らもキリストにつながりました。だから、キリストと同じく苦しみに会うこともあります。そんな苦しみの中にいても、キリストに繋がっているので、キリストの愛を表すことができます。それは僕らから出てくるものではなく、キリストにつながり、聖霊が与えられてることの証拠です。僕らから良いものが出てるのではありません。全ての良いものは神様から与えられるものです。
8 私たちは人をだます者のように見えても、真実であり、
9 人に知られないようでも、よく知られ、死にそうでも、見よ、生きており、罰せられているようであっても、殺されず、
10 悲しんでいるようでも、いつも喜んでおり、貧しいようでも、多くの人を富ませ、何も持たないようでも、すべてのものを持っています。
イエス様に繋がった僕らはまるで小さな子どもになったみたいです。子どもはお金も能力も持っていません。何もないのに、愛されて必要な食べ物を与えられ、着る物も与えられます。何も持っていなくても、ちゃんと生きていけます。そのように、神様は僕らの完璧な父親となり、僕らは子どもになりました。
18 わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。
こんなに素晴らしい恵みと特権を僕らは与えられています。この恵みを無駄にしないようにと聖書は言います。
1 私たちは神とともに働く者として、あなたがたに懇願します。神の恵みをむだに受けないようにしてください。
こんなに良いものを与えられているのに、コリント教会の中には偶像を求める人、悪い生活を求めたがる人がいたようです。神様の愛や赦しにつながったクリスチャンは、不法や偶像礼拝をする人とはつながることができません。だのに、コリント教会の中にはせっかくの神様の赦しもきよめも、イエス様の犠牲さえもムダに踏みにじるような人たちがいたようです。
14 不信者と、つり合わぬくびきをいっしょにつけてはいけません。正義と不法とに、どんなつながりがあるでしょう。光と暗やみとに、どんな交わりがあるでしょう。
15 キリストとベリアル(悪魔の名前)とに、何の調和があるでしょう。信者と不信者とに、何のかかわりがあるでしょう。
16 神の宮と偶像とに、何の一致があるでしょう。私たちは生ける神の宮なのです。神はこう言われました。「わたしは彼らの間に住み、また歩む。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。
17 それゆえ、彼らの中から出て行き、彼らと分離せよ、と主は言われる。汚れたものに触れないようにせよ。そうすれば、わたしはあなたがたを受け入れ、
18 わたしはあなたがたの父となり、あなたがたはわたしの息子、娘となる、と全能の主が言われる。」
僕らの全部は神様のものです。心も手足も神さまのものになりました。僕らの体は神様の住まいです。神様の手足を悪に使うことは無理です。ますます神様の子どもらしく、何をするにも、神様と一緒に、神様のために用いていただきましょう。僕らの全部は神様のものです。
(2コリント 5:15)
キリストがすべての人のために死なれたのは、生きている人々が、もはや自分のためにではなく、自分のために死んでよみがえった方のために生きるためなのです。
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